2000/5/03 |
キャンジンゴンバ(3,840m)-ランシサカルカ(4,125m)-キャンジンゴンバ(3,840m) 9時間 |
7時半、私達三人を除いた7人ランシサに出発する。Yは 単純な奴 の名に恥じず、もう体調を回復して嬉々として参加している。こうしてみると、我が家で全日程に参加したのはN子だけだ。逞しい奴。
私は一人でキャンジンの部落を見て回る。まず明日乗る予定のヘリが発着するヘリポ−トだ。部落の上流にある草地で、牛や馬がのんびり草を食べている。ヘリポ−トといっても何かがあるわけではない。直径10m位 の円状に石が並べてあるだけだ。ここに着陸しろと言うことだろう。他に墜落したと思われるヘリのドアの部分だけが入り口近くにぶらさげてある。一応目印のつもりだろうが、なんとなく不安をかき立てるたたずまいではある。
その傍の草地にはテント用の太いピンで羊の毛皮を地面に固定して天日で乾かしている。これは昨日私達が頂いた肉の残骸だろう。それほど大きくないから小羊だったのだろうか。そうだマトンでなくてラムだったもの。
部落の上のほうに行くとここに定住して放牧をやっている家族の家がある。
この辺はネパ−ルといってもチベットに近いので衣装などの風俗はチベット風なのだ。
そこから下るとホテルの庭に入る。旅行支度に身を固めた日本人らしいご婦人がたが現地の子供を交えてトランプゲ−ムをやっている。異様に大きな歓声だ。なにかいらだっている感じ。後で日出子が聞いたところではヘリを待っていたのだそうだ。8時に来る予定が既に3時間も遅れている。 いくらネパ−ル時間でもねえ ということだった。
その下の別のホテルの庭では白人の男汗だくで何やら玩具のポンプのようなもののピストンを懸命に押している。何かと思って尋ねると、水濾器 だという。この辺の飲めない水を飲めるようにしようと言うわけだ。だがあまり効率は良くないようだ。これを動かす時にかいた汗と同じ量 くらいしか出来ないのではないか。とても実用になるとは思えなかった。
その傍にはみやげ物屋がある。とはいっても板の上に商品が並べてあるだけだ。装身具、マニ車 それにあの山刀など。山刀はちょっといいなと思ったが、買って帰っても税関で没収されるのがおちだから諦めることにする。どこかで 100ドル といっていたな。実質50ドルくらいだろう。その傍にもう一軒みやげ物屋がありこちらは小屋だ。ここには後で日出子と来ることになる。
それから部落の外れの丘にあるラマ僧院の廃墟に行ってみる。もちろん誰もいない。キャンジン・ゴンパのゴンパは多分僧院と言う意味だろう。カルカは放牧地かな。僧院の廃墟に入ってみると、鍵のかかった戸がある。何かあるらしいが尋ねる人もいないのでそのままテントに帰る。
昼頃やっとヘリが来る。パタパタと音がしたかと思うと、谷からふわりと上がってきて、例の石の輪の中に着陸。4時間遅れだ。部落中の野次馬が集まってくる。
まずカトマンズから運んできたものを降ろす。たいしたものは積んでいない。卵、中華ス−プの素など。何やら点検したあと、例の御婦人がたが乗りこみ、ロ−タ−が回り出す。一定の回転数に達した後、こちらにものすごい風が吹いてくる。多分ロ−タ−の角度を変えて浮力を出したのだろう。フワリと持ちあがり谷の方へ飛ぶ。このまま行くかとおもったら引き返して着陸だ。荷が重過ぎて飛べないらしい。バッグを2、3個放り出してこんどはうまく飛んでいった。かなり危うい感じの離陸だった。
明日は私達もこれに乗るのだ。いやだなあ。でも歩いて帰れば、少なくとも2日はかかるし、その上またあの9時間のバスだ。全く進退きわまった感じだった。暗澹たる思いで日出子と二人で午後の散歩に出る。
日出子がみやげ物屋に行って見たいというので小屋がけのほうに行く。何所からともなく大柄な店員が出てくる。いつも口をあけていて余り利口そうではないがカタコトの英語を話す。もっとも私達はお金を一文も持っていない。榊原氏に全部あずけて彼を通 して物を買うことになっているからだ。もっとも今日は皆いなくなるので万が一のために1000ルピ−は預かってはいるがこれはないことにしよう。日出子小さなマニ車取り上げ、これが欲しいという。物々交換でよいことになりテントから靴下を取ってくる。ユニクロで買った三束千円のやつだ。店員仔細に靴下二束を調べこれじゃ不足だという。マイルドセブンを出して足す。マ−ルボロはないのか と店員。もう一個煙草を足す。まだ不足という。日出子吸いかけのフロンティアを更に足す。それで商談成立。しかしこのマニ車とんでもない安物だった。後でN子がちょっときつくまわしたら鎖の先についている重りがすっとんで割れてしまった。おまけに割れたかけらの一つをなくしてしまったので修復不能だ。私も日出子も商人としては失格のようだ。
あそこの僧院は3時になったらドアを開けてくれるよ と店員が教えてくれたので、ガイドの一人を頼んで僧院に行く。ドアの向こうにはマンダラ画があるようなのだ。所が結局誰もいない。ガイドが調べたところ今日はどっかに行っていて明日の朝なら良いと言う。結局諦めて帰る。
日出子土地の女性のスケッチをしたいという。ガイドに頼んでチベット風の衣装を着た17、8の子に二人来てもらう。写 真を一枚取り、日出子スケッチを始める。5分も径ったろうか。もうダメなのだ。二人ともモゾモゾ動き出し、席を立って行ってしまった。モデルということを知らないのか。絵を描くということすら知らないのかもしれない。それともモデル料をちゃんと払わなければいけなかったのか。とにかくスケッチは一人分しか出来ていなかった。
そうこうしている内に遠征組か帰ってきた。プ−ちゃんは顔面が半分麻痺したといって先に帰ってきていた。N子 にどうだった。昨日とそんなに変っていなかったんだろう。 と聞くと それがそうじゃないんだよなあ。と答えおった。憎らしい奴。氷河もあったし 化石探しもやったらしい。
これで今回のトレッキングは全予定を終了した。明日はヘリでカトマンズに戻る。それにしてもヘリはちゃんと来るかしら。
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2000/5/04 |
午前 キャンジンゴンバ3,840m-カトマンズ1,400m ヘリコプタ- 25分 サンセットビュ-ホテル泊 |
日出子記
朝食のとき私の目の腫れがすごいので、皆が氷で冷やすと良いと言う。N子 ビニ−ルの袋に氷を入れハンカチで巻いて持ってきてくれた。水溜りの氷だからオシッコもまざっているかも というが直接肌に触れるわけでもない とても嬉しかった。 目にあてるとひんやりと気持ちよし。そのうちプ−ちゃんが暖めるのと冷やすのを交互にするともっと良い とあたたかいタオルも持ってきてくれた。
目に交互にタオルを当てながら 我々のテント 6泊もしたテント が片付けられるのを見ていた。食堂のテントもイスも畳まれていく。我々はヘリで帰るが、これらの用具はまたポ−タ−が担いで山を下るのだ。
日がさしだすと気温はぐんぐん上がり、夜の寒さが嘘のような暖かさになってくる。ヘリが来ればいよいよこの地を離れるのだ。このすごい 素晴らしい地を。死ぬ ときに今までで一番心に残っている場所は?と聞かれたら
キャンジン・ゴンバ ときっと答えるだろう。
白き山
脚なえ馬を
生かしおり
キャンジン・ゴンバには家畜が何頭か飼われていたが、この馬の前足 ひづめのすぐ上が折れていた。ビッコを引きながら草を食べている。でもここの人達はやさしい。殺しもせず放牧している。
8時頃から荷物をパックしてヘリを待つ。昨日の例もあるので定刻に来ることはまず期待できない。ヘリポ−トの傍のレストランの庭でビ−ルを飲みながら待つ。一機でピストン輸送するらしいので第一陣と二陣に分ける。家は日出子とN子が第一陣、Yと私が第二陣だ。万が一のことがあっても一家全滅は避けようと言うわけだ。今日も天気で日ざしが強い。皆日焼けしているが、これでは真っ黒になってしまう。女性軍は皆日焼け止めクリ−ムを塗っている。
9時半頃パタパタという音が聞こえた。私が 来た といったがその後なんの音もしない。空耳と思ったが、ガイド達が走り出してきた。どうも本当にきたらしいと思っているうちに谷から昨日のヘリが姿を現わした。今日は意外に早く来たのだ。荷物の積み下ろしなど昨日と同じだ。やがて第一陣が乗りこみ離陸したがまた着陸。昨日と同じだ。どうもこのヘリ調子が悪いらしい。オイル洩れだ等と言う声も聞こえる。エンジンなどあちこち点検している。そのうちもう一機ヘリが現われた。なんと二機チャ−タ−してあったのだ。こちらに乗りこんで我々も一緒に帰れるのだ。このヘリの操縦席のところに行くと、なんと昨日のみやげ物屋の店員がパイロットの席にいて あっちのヘリのパイロットはへたくそだ。これは俺が操縦するから大丈夫だ 等と言う。こいつ私達をからかっているのだ。野次馬がヘリに乗りこんだり、土地の子がヘリの舵取りのためのワイヤをいじくったりしている。やたらに牧歌的なのだ。
やがて本物のパイロットがきて私に操縦席の隣りに乗れという。重さのバランスの関係かな。ヘリに乗るのは初めてなのでやや緊張して席につき、シ−ト・ベルトをしめる。
車のとは違う方式なのでまごついているとパイロットがパチリとしめてくれた。やがて第一機が出発。我々の第二機が後に続く。フワリと持ちあがったと思ったら、もう谷に突進している。足元が急に谷底になる。このときが一番怖くて身体が思わず後ろに引けた。
ヘリは峡谷に沿って飛ぶ。峡谷に落ち込む崖には細い道が刻まれているのも見える。あの道を登ってきたのだ。ディジタル・カメラで刻々変る峡谷の様子を撮影した。10分も飛ぶと民家の部落が見え始め、例の空まで届く段々畑だ。前方に壁のように絶壁が見える。第一機はかなり慎重にこれを越えたように見えた。やはりこういう所が一番危険なのだろう。この絶壁を越えるともうそこはカトマンズの郊外だった。平野が広がる。
やがてカトマンズの市街が見えて来る。あの白く光っているのは仏舎利搭だろうか。そしてカトマンズ空港に着陸した。着陸直前パイロットは十字のようなものを切った。今日も無事で神様有難う御座いました というところだろうか。やはり山間の飛行は危険なのだろう。
この間の飛行時間25分足らず。あの往きの苦労は何だったのだろうと思われるほどのあっけなさだった。ヘリの横にはポリ缶 が50個ほども置いてあった。これで燃料補給するわけか。どうりで遅れるわけだと納得した。
バスでサンセットビュ−ホテルへ。昼食に間に合った。例のソバ店でおろしソバ。甘みのあるおいしいソバだった。女性軍、午後からはカトマンズ市街に買い物の下見に行くと言う。このエネルギ−すさまじいね。思わず感心してしまう。明日一日はカトマンズ見物と買い物。明後日早く香港に立つ予定だ。これだけ時間に余裕があるのもヘリを使ったお蔭だ。 |
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