2000/5/01 |
ランタン(3,307m)〜キャンジンゴンパ(3,840m) 徒歩 4時間 (標高差)533m テント泊 |
今日は最終目的地のキャンジン・ゴンバに向かう。標高差500mあまり。Yはだいぶ具合が悪そう。日出子がなだめすかして出発させる。ランタンの部落を出てすぐにチェック・ポスト。何やらわからないがまた金を取られた模様。その上ここにはネパ−ル語の看板しかないので、英語のそれを作る金も寄付しろという。ワッツ・スタンダ−ドと私が聞くと、これは寄付だから標準の額はない などという。しっかりしているなあ。その場は榊原氏がおさめてとにかく出発。確かトレッキング・パ−ミットを取るときも一人600ルピ−とられたんじゃなかったかなあ。
今日の登りはたいしたことなさそうと思ったがこれは大間違い。空気が薄いので足が上がらない。何時のまにか皆から遅れてしまった。しかし今日は最後尾ではない。Yがさらに遅れてしまっているからだ。誰か付いてくれているだろうし、最悪の場合でも誰か背中に背負ってきてくれるだろうなどと無責任なことを考えひたすら重い足を運ぶ。
12時頃きつい登りを終えると目の前にキャンジンの部落が。このときは嬉しかった。やっと目的地についたのだ。とにかく先着の一同に合流する。高度は3,800mあまりで富士山程度。気圧は600hpa。つまり地上の6割程度だ。
約30分遅れでYも到着。着くと皆の前で地面にひっくり返ってしまう。それを見ていた日出子。しっかりしなさい。演技オ−バ−よ などと冷たいことをいう。とにかくYテントにもぐりこんで寝てしまう。あとで 撮った写
真を見ると 陽が弱ってきているのが ありありとその表情と身体の様子から分かる。その話をすると 単純な奴 などとN子。空気が薄くて死んじゃうよう。なんて弱音はくのよ。と日出子。我が家の女は皆冷たい。
日出子記
キャンジン・ゴンバにやっとたどり着く。いつもの通り温かいジュ−ス。キッチン・ボ−イが遅れているYと付き添いのN子の分をポットに入れ、カップ二個を持って、今来た道を風のような速さで引き返していく。ジュ−スを飲んで、Y にはもうひとがんばりしてもらいたい。思ったより早く二人は到着。
すぐに雪が降り出す。パラパラとテントをたたく音もするので、あられ も混じっているようだ。 昼食後 あられ の音を聞きながら昼寝。
すごく綺麗だ という誰かの声で目覚め、外に出てみると、まわりの低い山々の木が霧氷に覆われて ふんわりと白い。その後ろの高い山々が重なり 質の違う二つの白のハ−モニ−が素晴らしい。でも昼からこの寒さでは今夜が思いやられる。
さてキャンジンはというとまず裏手に小高い山がある。裏山と呼んでおこう。裏山から左に3つの峰が特徴の キムシュン 6,745m その左手にランタン・リルン 7,225m が見える(山の名は地図から推定)。いずれも白い雪に覆われているが、所々に鋭い岩がつきだしている。手前の小山に隠されてで姿は半分程度しかみえない。
裏山はランタン河に落ち込んでいるが、河原の手前で300m位のなだらかな斜面 になり、そこにキャンジンの部落が広がる。部落にはホテルが10軒程度あり、他にここに住んで放牧をしている人達の家もある。気象観測所やヘリポ−トもある。人が定住しているランタン渓谷の最奥部の村だ。部落を越えると100mくらいの崖で河原におちこむ。河原は丸い大きな石で埋め尽くされているが、河の流れ自身は下流に較べるとずっと弱く細い。対岸にはナヤ・カンガ、ガンジャラ・チリなどの6,000m級が白い神々しくも荒荒しい姿を見せている。上流にも下流にも同じような山々がみえる。要するにここは四方八方5-7,000m級の山々に囲まれた谷なのだ。ここを発見したイギリス人が 世界一美しい谷 と呼んだのも無理はない。
パサン氏、裏山を指して 明日はあそこに登る たいしたことない と言う。そう言えば案内書には360度の大展望とあった。楽しみなことである。
ただ気がかりなのはYに続いて下痢症状の人が何人か出てきたことである。また高山病の特徴の頭痛や顔のハレも何人かには見られるようになった。我が家では私とN子は健康そのもの。Yは下痢、日出子は高山病でまぶたがはれ上がっている。Yは お母さんイグアナみたい などと遠慮のないことを言う。サングラスをかけて隠すよう薦める。
日出子記
昨日の夜 お酒を飲んで お喋りをして さてテントに戻ろうとしたとき、差し歯 (上の前歯)がポロリと土間に抜け落ちてしまう。 大変7万円 7万円の歯と 叫ぶ と皆で懐中電灯で捜してくれる。 結局 ホテルのおばさんが これか と拾ってくれた。 このあと 前歯かけの 目はれぼったの イグアナへと変身が始まるのだ。
こう下痢の人が増えると困るのはトイレット・ペ−パ−だ。現地で調達できますとありその通
りではあったのだが、これはなかなか申し出難いのだ。貰いに行くとこれから行きますというようなものだから。出てくる前に4本くらい鞄に入れたのだが、おみやげがはいらなくからとN子、日出子に反対されてようやく一本だけ入れてきたのだ。大げさに言えばみな小脇に一本ずつ抱えていざ鎌倉に備えているような状態だった。だからいわんこっちゃない。
日出子記
夜中に目覚める。Yの下痢はいくらか良くなっているようで、前夜までのように度々起こされることはなくなっていたのだ。目覚めるといっても 目が開かない。物凄く腫れているのだ。 ドキッとした。子供の頃 腎臓病にかかった事があるからだ。榊原氏によると 高山の酸素が少ない状態では、全ての臓器の働きが鈍る。特に腎臓の働きが悪くなり むくんで来るそうだ。水をじゃんじゃん飲んで おしっこ をたくさんするのが良いそうだ。 水 水 ペットボトルの水はYが全部のんでしまっていた。懐中電灯で足元を照らしながら食堂兼集会所のテントに行く。テントの中に誰か寝ていたらどうしようと思いながら恐る恐るチャックを開ける。よかった 誰もいない。テ−ブルの上のポットから湯ざましの水をペットボトルに移しテントに戻る。私も下痢が始まっていたので、このぬ
るま湯を多量に飲むのはためらわれたが,下痢よりは腎臓病のほうがずっと恐ろしいので 息をとめてごくごくと飲む。飲みたくもないのに飲むのはつらかった。
一部の人を襲った下痢も 細菌性のではなく、高山で胃腸の働きが弱まったせいかもしれない。 |
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2000/5/02 |
キャンジンゴンバ(3,840m)裏山登山(4,260m)キャンジンゴンバ(標高差) 420m テント泊 |
いつも通
りの朝のスケデュ−ルで裏山に7時半出発。今日も快晴で暑いくらいだ。今度のトレッキングは天気に恵まれて いままでのところ全て快晴だ。だが山の天気は変わりやすく昼頃から霧や雲が出てきて、夕方にはあられや雨が降ったこともある。なるべく早い時間に出発した方がよいのだ。Yはダウンしているので今日は9人だ。他にスタッフ達。
それほど高い山ではないし、頂上にはラマ教の幟がひるがえっているのが見えるので、今日は重い登山靴をやめて運動靴にしようとしたのが、またまた大間違いだった。
山の斜面にジグザグに切ってある道を登る。今日は登り一本槍だ。中腹に差し掛かるともう汗が滴り落ち息が切れる。空気が薄いのだ。ゆっくりゆっくり登るのでたちまち皆から遅れる。息をついていると、例のアルバイトのガイドがきて これをかじれ と渡されたのがニンニク一塊だ。そう言えば昨日Yがフラフラしながら歩いていたとき、例のスイスグル−プがくれたのもニンニクだった。この辺ではバテたときにはニンニクをかじるらしい。一口噛むと強烈な辛さだが、心なしか心臓の動きが良くなったような気がする。
ようやく頂上に着くとガイドがいて右に行くか左に行くかと聞く。左はいままで見えていた頂上。ところがもっと高い頂上が右手にもう一つあるのだ。やれやれと思いながら右手の頂上目指して重い足を運びやっと本当の頂上についた。皆はすでに到着していたがやはりバテた顔をしている。しかしここからの眺めは素晴らしかった。確かに360度の大展望だ。ランタン・リルンもその全貌を殆ど現わしているし、そこから流れ出している氷河も見える。高度計は4,300m付近を指している。とうとう4000mを超えたのだ。日本ではこの高さには登れないのだ。
カメラをパノラマにして360度写真を撮る。他にディジタル・カメラを望遠にしてポイント ポイントを撮影する。まあこれが今回の目的だったようなものだから。ここの景色の素晴らしさを現わすには、文章よりは写
真のほうがはるかに良い。
そう言えば昔読んだヒルトンの小説に 失われた地平線 というのがあったな。まさにここには地平線などない。見渡す限り神々しい山また山だ。そうだここはまさに シャングリラだ。ホテルじゃないよ。小説の中の地名だ。
頂上に小一時間もいただろうか。皆の後から下山し始める。ここで運動靴にしてしまったと思ったのだ。足の親指が圧迫されて痛いのだ。まあしょうがない 花の写
真など取りながらゆっくり降りていった。ひどく遅れたので榊原氏がわけを聞きにきた。理由を話すと 早く言ってくれれば良いのに と言って彼の靴と取り替えてくれた。重いがガッシリとした登山靴だった。これで大分楽になった。親指の痛いのをガマンして歩くと、爪が真っ黒になって死んでしまうのだ。ようやくキャンジンの部落が下に見え始め、一時間くらいも遅れて集会所のテントに入った。昼食はもう済んでいて私の分だけとってある。今日はオムライスだが、疲れ果
てて喉を通らない。端をちょっとかじって自分のテントに潜り込みそのまま2時間ほど寝た。
今日の夕食は珍しく肉料理がメイン・ディッシュだ。ラムの焼肉風で味付けも悪くない。
続いてラムのレバ−。こちらは柔らかくて食べやすい。私達が裏山登山している間に小羊が一頭犠牲になったらしい。あそこで皮をなめしていたわよ。と誰か。なんとなく 羊達の沈黙 を思い出しながら結構食べた。
今年のトレッキングで料理が野菜中心だったのは、去年のトレッキングで皆さん肉料理にあまり手を出さなかったかららしい。ちゃんと申し送りがされているのです。
クマ−ル君 にこにこしながらデザ−トのケ−キを持ってきてくれる。ハッピ−・トレックと英語で書いてある。
テントでの夕食が終わりに近づいたころ、隣りの小屋から賑やかな歌声が聞こえてきた。スタッフ達が歌っているのだ。無事にトレッキングが終わりつつあるのを祝っているようだ。入ってきたクマ−ル君にプ−ちゃんが リシャム・ピリリをリクエストした。ネパ−ルのフォ−ク・ソングで一番人気のある歌だ。小屋に私達を招き入れ、演奏か始まった。例のアルバイトが横に細長い太鼓をたたいている。他には日本とそっくりの横笛。これにあわせて皆で歌う、
リ−シャム ピリリ。 其のうち踊りが始まり、榊原さんがひっぱり出され、私達皆も引っ張り出されて踊ってしまった。というわけで今日の夕食は楽しいパ−ティになってしまった。
明日はランシサ・カルカまで遠征する。登りは少ないが、距離があり往復9時間とのこと。足を痛めているので私は遠慮することにする。残念。 他に日出子と中島夫人も体調良くないので不参加。私達はここキャンジンでのんびり過ごす事にする。
日出子記
風邪気味の中島婦人は今夜の夕食には不参加。テントで静養だ。私も疲れて食後すぐテントに戻る。小屋のほうから太鼓と笛と楽しげな歌声が聞こえてくる。いかにもアジア的ですんなりと心に入ってくる良い音楽だ。他のメンバ−が踊っているなんて知る由もなく寝入る。Y はすっかり良くなって 今夜はぐっすりだが今度は私がいけない。下痢が激しい。おしっこを出そうと思って飲んだ水全部腸のほうに行った様だ。目が覚める。まぶた がびんびんに腫れあがって目が開かない。頭がキ−ンと痛い。でもトイレに行かなくては。
夜は 0℃以下になる。テントといっても土の上に薄いマットレスをひき、その上でシユラフだけで寝るわけだから結構冷える。持参した服を全部着込んでいる。何枚かのTシヤツの上に厚いトックリのセ−タ−。その上にヤッケ。下はズボン下にズボン二枚を重ね着。更に靴下二枚。こう厚着している上に、シュラフのチャックが布を噛むので、シュラフから出るのがまず一苦労だ。テントは小さいので立ちあがることができない。ズキズキ痛む頭を抱え、這いながら出口のほうにソロリソロリと身体の向きを変える。テントを出るには、内側の縦 横 二つのチャックを開ける。次に足先だけ外に出し重いトレッキングシュ−ズをはく。トイレで汚さないように靴紐とズボンのすそを注意深く靴の中に押し込む。外側にもう一つあるテントのチャックを開け、懐中電灯で照らし薄氷の張った水溜りを避けながらトイレにたどり着く。トイレテントのチャックを開け 足の位
置を決めてからチャックを閉める。懐中電灯の光線がこちらの方を向かないように気をつけてトイレの隅におく。
用が済んだら今の手順を逆にたどりテントのシュラフにもぐりこむ。息が苦しく頭はますます痛い。一眠りするとまたトイレに行きたくなり目が覚める。一夜でこれを3回位
やった。さすがにこれはちょっとつらかった。
夜のトイレは本当に大変でした。
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