2000/5/04 |
午後カトマンズ |
7まずコスモ・トレックに行く。今回のトレッキングはこの会社がアレンジしてくれたのだ。ここに預けておいた貴重品を受け取りに行くのだ。
女社長さんカトマンズの様子や日本食のレストランなど教えてくれる。なかなかやり手らしい。建物も立派だし、ある場所も高級ビジネス街のようだ。
タクシ−二台に分乗してカトマンズの繁華街に乗りこむ。今日は買い物の下見だそうだ。タクシ−はかなりぼろい。フロント・ガラスにひびがはいっている。しかしメ−タ−はかなり乗っても100くらいだ。つまり200円くらい。インドでもそうだったが、自動車、バスはボロばかりだ。新車など見たこともない。
他に小さい三輪車でこれは乗合のタクシ−だそうだ。それから二輪車が走っている。これは日出子たちの使っているミニ・バイクでなく、川崎の車輪の大きいやや大型が多い。ミニでは山を登れないからだろう。
他に忘れてならないのは牛だ。ここはヒンドゥ−教の国でもあるので、牛は聖獣で街の中を自由に歩き回っている。車道も歩道もない。車道の真中で寝ているやつもいる。当然連中の排泄物もあたりかまわずころがっている。
この他にもちろん人間の歩行者がいる。交通信号はまったくない。これらが混沌となって道を走ったり歩いたりしている。
車類は廃ガス対策を全くしていない。どういう状態になるかわかるでしょう。
一番あぶないのは道を横断するときだ。車の途切れるのを待つのだが、人がいてもスピ−ドを緩めることはまずない。命がけの横断だ。四輪車のタクシ−は三輪車以下は車と認めていないようだ。だから三輪が対向車線にいてもそちらにはみ出して追い抜きをする。衝突寸前でこちらの車線に戻る。とにかくスリルのあるドライブだった。この国では人命の価値などないに等しいのではないか。まあ中国でもインドでも、大体似たようなものだったのでそれ程驚きはしなかった。
まず繁華街の絨毯屋に行く。中島家で買うそうなので。狭いが落ち着いた店。ここで円をルピ−に替えてもらう。一万円単位
。私は一万円と20ドルを替える。レ−トを知りたかったので。残念ながら計算書はくれなかったのでレ−トは分からずしまい。中島夫妻絨毯を沢山ださせて模様やサイズを検討している。時間がかかりそうなので外に出て街の様子を見る。小さい店構えだが活気のある店がずらりと並んでいる。みやげ物屋ではあのランタンの山奥でみたような商品が品揃え豊富においてある。横丁に入るとここはお面
屋だ。大きなお面が百個くらいも並べてある。お面は色々の国のがあり無国籍状態。アフリカ調の置物があるので見ていると店員が アフリカ・アフリカ という。へえアフリカから輸入しているの と聞くといやネパ−ル製だ とこたえる。
これは銀でできているの と聞くと そうだが合金だ。割に正直なのだ。
またもとの道にもどると、笛を十本も袋に入れた おやじ に付きまとわれた。イッポン センエン いらない というと ニホン センエン ときた。かなりしつこい。黙って歩いていると ヨンホン センエン ときた。あっというまのダンピングだった。笛は買っても鳴らせないことが多いので この辺に本屋はないか と聞くと案内してくれた。ちょっと悪かったがそのまま本屋に逃げ込む。カトマンズには本屋が結構沢山あって暇つぶしにはもってこいだ。まず ヒマラヤの山々の絵葉書を手当たり次第選ぶ。一枚10ルピ−。それから今度行ったランタン付近とアンナプルナの地図。一枚90ルピ−。本は結構高い。
トレッキング イン ネパ−ル 1500が消して1300になっている。他にエベレストやマチャプチュレの横長の大きな写
真。絵葉書と地図を買う。本屋の店員はやはりインテリくさい落ち着いた顔をしている。この本買わないかと値引きした本をさす。又今度というと本屋の名刺をくれた。あの写
真も欲しいが、あの写真買って家の居間にはるんでしよう と日出子にけん制されたので今日はやめる。
絨毯屋の次はカシミヤ屋だ。店を覗くと奥さん連は夢中だ。そばの椅子に榊原氏憮然とした表情で座っている。山の案内はいいが買い物の案内は大変だろう。表情にも元気がない。私はまた近くの本屋に逃げ込む。ここではカトマンズ中心にまた絵葉書。ここにもトレッキングやヒマラヤの自然に関する本が沢山置いてあった。日本人の著作もあったが、山と渓谷社刊とあったのでこれは日本でも手に入るだろうとやめた。私の今日の買い物はこれでおしまい。ルピ−は沢山残っている。一万円は替え過ぎだった。明日使うことにしよう。
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2000/5/05 |
カトマンズ |
今日はカトマンズ市内の観光と買い物。バスで街に繰り出す。まず最初はヒンズ−教の最大の寺院。ガイド役は去年のトレッキングでガイドを勤めた青年で名はドルジェ。中島家の人々とは周知の間柄で一年ぶりの再会。
寺院は河の傍にある。河岸はりっぱなコンクリ−ト作りで石の台座が等間隔に両岸に作ってある。そばには薪が山積してある。河はお世辞にもきれいとはいえない。水はにごり、ごみが何かに引っかかっている。ここは実は火葬場なのだ。石の台座の上で薪で火葬するのだ。火葬後の灰はこの河に流すのだ。日出子いわく
灰を流すならもう少しきれいにしろよな 全く同感だった。
私達が行ったときちょうど葬儀車が一台きていた。傍を通るとき死者の顔がちらりと見えた。
寺院の中には信者しか入れず、寺院の反対側の丘にのぼって全体を見物した。石作りの堂があり、なかにはやせこけた殆ど裸の老人がいる。あとで聞いたところではこの老人は日本で言う所の行者だ。食事は一週間に一度。人類の幸福のために祈っているのだそうだ。皮膚に白い粉をぬ
っているのは日焼け止めらしい。私達には乞食じいさん としか見えないがそれなりの存在価値があるのだろう。帰り道に火葬場の傍に学校があるのに気がついた。授業しているが女の子が退屈そうにこちらのほうを見てよそ見をしていた。ガイドによればここは公立で費用が安いのだそうだ。高いほうはもう少し良い場所にあるのだろうか。もう一つ、鼻筋のところに何か塗っている人か゛いるはあれは何のため と聞いてみた。あれは今日のお祈りを終えましたという印で ティカといいます とガイド。色は赤でなければいけません。 でもいろんな色売っているじゃないの と聞くとあれはオシャレのためとのこと。
次は仏舎利搭だ。巨大な円形の台座のうえに作ってある。台座の上を歩いて回りながらマニ車をまわす仕掛けだ。台座を囲むように沢山のみやげ物屋がやはり円形に並んでいる。皆マニ車をまわしているものの目はランランとみやげ物屋のほう向いている。傍に寺院があってれいのえんじ色の僧服をきた坊主がラマ教のお経を唱えている。ただハ−モニ−は悪いし、あまり揃ってもいない。家のエンカルタ百科辞典に入っているのより音楽としては遥かに下だ。皆中に入ってお賽銭を上げたようだが、私は外で待つ。
日本食で昼食後、近くのシャングリラ・ホテル・カトマンズでデザ−ト。ここは別
天地だ。グリ−ンの芝生。大きな日よけがさの下でのデザ−ト。外人のカップルが多い。
次は例の蛇のとぐろの上に観音様?が寝ている寺院だ。ここもヒンズ−教なので私達は中には入れない。ネパ−ルのご婦人が中に入って鼻筋に赤い染料を塗っている。なんでこんなグロステクなものが神体なのだ。私には理解できなかった。日出子はそれなりの感銘を受けたようだった。 ああいうのを信仰するほどここの人達の生活はひどいのよ。
次は少女の生神様クマリの見学だ。私はもうくたびれたのでバスの中で待つ事にした。昨日買った絵葉書にクマリのアップの写
真もあったことだし。やたらにきついメ−クのただの女の子だ。
皆が行ってしまった後、目の前にある教育図書の古本屋に入ってみた。あるある博物学、地理、物理。力学、量
子力学の教科書もある。この国でも高等教育を受けている人がいるらしい。少し安心した。インドには結構いい学者がいるものなあ。こういう貧しい国では実験は難しいだろうが、理論では案外偉い人が出ることもあるのだ。バスの中から見ていると若い学生連が結構たくさん出入りしていた。まあがんばってという気持ちだった。
最後に待望のショッピングだ。昨日の繁華街に行く。Yの両替とネパ−ル煙草の買い物に付き合う。店の一つで化石の買い物をしている間にまかれてしまった。まあ一人でやってみたいのだろう。別
の本屋に行き昨日のトレッキングの本を探す。あったが1500とある。他にエベレストの詳細地図がある。666か999ルピ−かよく分からない。両方で2000でどうだと交渉したが可愛い女の子の店員はだめという。地図は999という。この本別
の店で1300で売っていたよ。というと これは第二版だという。と言うわけで交渉決裂。結局昨日の本屋でトレッキング イン ネパ−ル を買う。正札のついてる本などは値切るべきでなかったかな。繁華街の一画にス−パ−を発見、アルコ−ル類と紅茶のパックを買う。ネパ−ル製ウイスキ−のポケット・サイズ 77ルピ−。これは今日の寝酒だ。この店結構外人さんが多い。この辺のみやげ物店の二階以上は安ホテルになっていて、連中そこで暮らしているそうだ。生活必需品はこういうス−パ−で買うとのこと。榊原氏によれば、ネパ−ルはヒッピ−が結構集まるところだそうな。ポカラにはもっといるそうだ。西欧の競争社会がいやになって、東洋思想に憧れて来る人も結構いるのだろう。物価も安いことだし。
時間になったので集合場所に行くが誰もきていない。そのかわり物売が集まってきた。例のイッポンセンエンの笛売り。彫像売り。CD売り。おまけにマリファナ売り。最後のはノ−といったらすぐ行ってしまった。非合法のはしつこくない。
皆戻ってきたのでス−パ−に案内。Yここでまた沢山買う。と言うわけで皆下痢を我慢しながらの買い物。カトマンズもすさまじいがこの日本人の買い物もすさまじい。これでおしまいと思ったらもう一つショックが待っていた。繁華街を通
って待たせてあるバスのところへ。ここがゴミ捨て場だった。物凄い悪臭だ。しかもこの悪臭をものともせずゴミあさりをしている人々がいるのだ。そう言えばバスで市内を回ったとき、青いビニ−ルシ−トで覆われた広大な一画があった。あれは実はスラムだったのだ。ああいう所から来た人々がゴミあさりをしているのだろう。あのビニ−ルシ−トの下にはどんな生活があるのだろうか。そんなことを考えながらホテルに戻った。
貧しい人々にショックを受けたが、私が悩んでもどうにもなるものではない。ルピ−はまだ沢山残っている。と言うわけでホテルのショップに飛び込んだ。N子が買い物をしていたが、総額4000ルピ−近く。2000くらいしか持っていないという。気前良く2000をやる。飛んで火に入る夏の虫だ。私には欲しかったエベレストの写
真。リシャム・ピリリの入ったCD。それにアクアマリン1.46カラット。これでルピ−は使いきった。心置きなく出発できる。貨幣価値の低い国では両替しすぎると無駄
なものを買うことになるのだ。 |
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2000/5/06 |
香港 |
香港では中島氏が予約しておいてくれた中華料理に行く。ふかひれのスープ、しょうこう酒づけの鶏肉、あわび、・・燕の巣のデザート ご馳走だった。
皆ショッピングに行くというが、悪寒がするのでホテルに戻り寝る。皆さん元気だなあ。
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2000/5/07 |
香港-成田-東京-仙台 |
成田でYと別
れ、日出子、N子と仙台に戻る。タクシ−から家の前で降りるがクウの吠える声がしない。日出子 クウがいない。いない。 と叫ぶがドアを開けるとシッポを振って出迎えだ。泣きそうな目だ。ネコ共もちらりと姿を見せた。と言うわけで今回のトレッキングは万事無事に終了した。めでたしめでたしと言うわけだ。
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◆◇◆付記◆◇◆
旅の間は無事だったが、私も帰ってから二日ほど下痢をした。体重は2キロ程減った。
エベレストの写真は居間に貼ってある。それにしてもこの山々の姿は素晴らしいな。ランタンも良かったが、姿のしっかりした山はなかった。今度はここを見に行くことにするか。
日出子、N子によるとラマ・ホテルとランタンでの出来事がひっくり返っているそうだ。私の記憶違いらしい。似たようなものなので訂正せずそのままにしてある。
帰って調べたところではネパ−ルでの 一人あたりの年間所得は210ドル(1996)。因みに日本は40,940ドル。約200倍の格差だ。
人口は2,000万。北海道の2倍程度の面積に住んでいる。大国のインドと中国に挟まれて苦労している。今回の旅行で、この国の発展への出口らしきものが全く見えなかった。宗教、地勢、教育 等 障害が多すぎる。21世紀この国はどうなっていくのか。
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日程とフライト |
4/27 |
成田発 |
JL731 |
10:00 |
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香港着 |
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13:30 |
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香港発 |
RA410 |
16:05 |
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カトマンズ着 |
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18:35 |
サンセットビューホテル泊 |
4/28 |
カトマンズ(1,400m)-シャブルベンジ(1,430m) |
パス9時間 |
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テント泊 |
4/29 |
シャブルペンジ(1430m)-ラマホテル(2,470m) |
徒歩7時間 |
(標高差)
1,040m |
テント泊 |
4/30 |
ラマホテル(2,470m)-ランタン(3,307m) |
徒歩7時間 |
(標高差)
837m |
テント泊 |
5/01 |
ランタン(3,307m)-キャンジンコンパ(3,840m) |
徒歩4時間 |
(標高差)
533m |
テント泊 |
5/02 |
キャンジンコンバ(3,840m)裏山登山(4,260m)キャンジンゴンバ |
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(標高差)
420m |
テント泊 |
5/03 |
キャンジンゴンバ(3,840m)-ランシサカルカ(4,125m)キャンジンゴンパ(3,840m) |
9時間 |
(標高差)
285m |
テント泊 |
5/04 |
キャンジンゴンパ3,840m-カトマンズ1,400m |
ヘリコプター25分 |
サンセットビューホテル泊 |
5/05 |
カトマンズ |
滞在 |
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サンセットビューホテル泊 |
5/06 |
カトマンズ発 |
RA409 |
08:30 |
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香港着 |
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15:05 |
グランドスタンフォードインターコンチネンタルホテル泊 |
5/07 |
香港発 |
JL730 |
09:50 |
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成田着 |
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14:50 |
解散 |
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