四日目 カグべニ=ムクチナ−ト
今日は千メ−トルくらいの登りだ。この村へ入るときここがムクチナ−ト方面 への道だと教わったが、物凄い急坂だった。それで今日は私が最初に馬に乗せてもらうことになった。石垣に登って馬の上に跨る。あぶみに足がうまく入らない。パサン氏が手を添えて入れてくれる。手綱をゆるく持つようにと教えてくれる。あとはまったくの馬任せ。下手に動くと走り出したりしそうなので身をかたくして鞍にまたがっているだけだ。最初は快調だった。そのうち道は険しい崖に刻まれた細い道に変り高度はずんずん上がっていく。見下ろすと河原の白い石が遥か下に見える。このくらいの高さから落ちたらまあ軽傷ですむかな、それとも重傷などと思っているうち高度どんどん上がる。しかもこの馬、道の谷側を選んで歩くのだ。このバカ馬めが。そのうち落ちたら即死というような高さまで来てしまった。パサンも見ているし、ここで怖がっては男がすたるというわけでジット乗っていましたよ。お馬さんしっかり歩いてよ。祈るような気持ちだった。でもさすがに馬の御利益で、徒歩の皆さんよりは午前の小休止のバッティに一時間くらい早く着いてしまった。

このバカ馬めと怒ったが、あとでロバたちとすれ違ったとき、この馬谷側を歩くように訓練されていることに気がついた。狭い道ですれ違うとき、人が谷側だと、馬なりロバなりに接触した際谷の方に押されて落とされてしまうのだ。じゃあ馬に乗っている人はどうなのだといいたいが、それは諦めてくれということだろう。大体山に来て、馬で登ろうなどとはけしからんと言う人は大勢いるわけで。我々のグル−プだって、中島氏、榊原氏などの登山家は決して馬などには乗らなかった。プライドがあるのだ。しかし馬も結構つらい。お尻は痛くなるし腰はがくがくしてくる。歩いて登ったほうが良かったかなとさえ思えてくるのだ。日出子が乗ったときは他の馬とかみ合いのケンカになったそうで、それでも「馬方は知らん顔しているのよ」と怒っていた。崖をくりぬいて作った道しかないようなところだから、移動は馬で、輸送はラバでと言うことなのだ。これも恵まれた人だけで、そうでない人々は人力だけが頼りだ。実際、家の柱にするような十メ−トル近い材木や、大きな戸棚を背中に担いでヤッコラヤッコラと歩いている人も何回か見かけた。

小休止のバッティには先客のフランス人のグル−プがいた。そのうちの一人がズボンをたくし上げてピガ−ルとかなんとか言ってからかいにきた。フランス人にも時々おっちょこちょいがいるのだ、このグル−プはトレッキングではなく何処かの山に登りにきたらしい。一人は腹をこわして榊原氏に何か良い薬は無いかと聞いてきたそうだ。あとでムクチナ−トに着いたときあのおっちょこちょいが凧を手にうろついていた。ヒマラヤで凧を揚げるのがファッションらしいが、あまり利口そうには見えない。登山も失敗するのではないか。
やがて一行到着。休憩後ムクチナ−トに出発する。このあたりは景色が良い。高い木はもうはえていないが低い潅木が少々。近くには砂漠のような雰囲気の丸っこい丘。断崖になっているような場所もあり、刻まれた稜の影が美しい。遠くには高くそびえる白い山々が四方八方に見える。

思ったより早めにムクチナ−トに着く。実際にはここはラ−ニパニと言うところらしい。聖地ムクチナ−トには宿泊できないので、ここにホテルやキャンプ地が作ってあるのだ。ムクチナ−トまではまた少し登らなければならない。もうたくさんと言う感じだったが中島氏に叱咤激励されて重い腰を上げる。ラマ教の聖地は白い壁の平屋だてだ。中は撮影禁止だが、薄暗い室内に仏像と祭壇があり、その前に水が流れている。その水の上に青い炎がゆらゆら燃えているのが見える。これが信仰の対象なのか。メタンかアルコ−ルが燃えたときにこういう青い炎がたつ。メタンとすれば天然ガスだろう。もっとも動物の糞など有機物を発酵させてもメタンは発生するが。不信心な私には子供だましとしか思えなかった。

ヒンドゥ−教の聖地もすぐ隣にあってこちらは三重の塔。屋根は金色の布で飾り付けしてある。前の広場には囲むように蛇口というより牛口があって水がほとばしり出ている。蛇口の数は百八個。日本の除夜の鐘と同じだ。その思想も同じらしい。すなわち百八の人間の煩悩または罪業を払うというのだ。水に手をかざしてみたが凍りそうに冷たい。私は煩悩も罪業も思い当たらないので二、三個でやめた。日出子は陽から預かった布を近くの五色旗に結びつける。

聖地にきたといっても、我々のように飛行機で途中まで飛んで、ちょっと登っただけというのでは有り難味がないのだ。実際これから数日かけてムクチナ−トからポカラ方面に徒歩で下ったのだが、この道を逆に登っていくのは大変だろうと何箇所で思った。よほどの信仰心がないと最後の聖地に到達する前にギブアップだ。こういう苦労をしないと本当の有り難味はわかないのではないか。夕食で馬の名前はネパちゃんと決まった。ネパ−ルからとったわけだ。私は昼のこともあるのでトンマと名づけたかったが。

五日目 ムクチナ−ト=ジョムソム
今朝は四時起きだ。テントから顔を出すと星が見える。しめしめだ。今年は銀塩カメラを持ってきて星の写真を撮ろうと思っていたので。カメラを三脚にセット、レリ−ズをつける。これでバルブ撮影をすれば星が円弧状に写るのだ。こんな山奥では光害がないので良い写真がとれると思ったのだが、残念、前のホテルの窓には灯りが。さらに悪いことに時々稲妻が走っている。これでは大分カブってしまうなと思いながら二十分ほど露出する。帰ってから現像に出したが案の定出来は悪かった。そのうち空が白みはじめ遠くの白い山が浮かび上がる。朝日があたるところを撮ろうとビデオをまわし始める。確かあの山はダウラギリだ。昨日榊原氏の友人がダウラギリで遭難し、そのお墓に皆でお参りに行った。ダゥラギリがよく見える場所にケルンを積んだのだ。なんでも榊原氏と二人でダウラギリに挑戦登頂に成功したのだが、帰り道のル−トについて意見が分かれた。それで途中で別れたのだが結果的には榊原氏だけが生還ということになったらしい。

やがて朝日がダウラギリの頂上にあたり始める。モルゲン・ロ−トというがあの色はむしろ黄金色だ。ビデオカメラを360度まわしながら遠くの山を撮る。高い山から順に朝日があたり始め山々が黄金色に輝き始める。素晴らしい景色で苦労してここにきた甲斐があったというものだ。

やがて六時。キッチン・ボ−イがお湯を沸かし始める。外の道には農作業に行く人たちも。六時半には洗面器にお湯が各テントに配られる。歯磨きの水には昨夜のうちにコップに入れておいた沸騰した水を使う。そのうちに熱いミルクティ−が配られる。こういうシェルパの習慣はその昔イギリス人達が仕込んだものだ。やがて朝食。我々の荷物を運ぶロバたちもえさの入った袋を首からかけて貰っている。えさをやっているのはロバ使いの少年だ。二十歳というふれこみだが実際には十五、六だろう。少年労働について先進国で問題にしているので、それに気を使っているのかもしれない。この子口笛と独特のシュッという音でロバたちに命令を下す。石垣のそばに草が生えていたので何気なく葉をつまんでみる。アッチッチ親指の腹が火傷したように痛い。これはイラクサの一種だ。そばにいたパサンやシェルパ達が大笑いしている。しばらくすれば直るよ。驚いたことにこの草食べられるのだ。葉をドロドロにすりつぶしてご飯にかけるとメカブみたいな味と食感になる。


昨日とは違うル−トを通ってジョムソムに向かう。途中温泉が湧き出しているところ、小川が山の上のほうに流れているように見える場所などを通る。これは土地の隆起作用と川の侵食作用が競争して、侵食が勝ったときに起きる現象だそうだ。あのカリガンダキ河だって、東西に隆起してくるヒマラヤ山脈の隆起速度に比べて、南北への侵食速度が勝った結果、現在のような山脈を貫通する流れになったわけだ。隆起に負けたほうは山脈に平行に流れることになる。昨日我々がたどった支流は負けたほうということになる。ヒマラヤが隆起し始めたのが約二千万年前。人類の歴史はわずか百万年。気の遠くなるような時間をかけて、今のヒマラヤの地形が形成されたのだ。

ジョムソンへの道ではもう一度は馬に乗った。パサンと馬方が前方を話しながら歩いている。馬方は何か盛んに訴えているようだ。パサンは適当にフンフンと相槌をうって適当に受け流しているようだ。馬の借り賃は一日五千円程度。「買ったらいくら」と聞いたらパサン「車と同じくらい」と言ってニヤリと笑った。結構この人ユ−モアのセンスもあるのだ。八千メ−トル級のチョ−・オユ−に登頂したので尊敬の的だ。数多いシェルパの中でも八千メ−トル級に登った人は数少ないはずだ。
あと高い峠を越えた。岩の天井が頭上に迫っている。しかもここは曲がり角になっていて、ものすごい強い風が吹いている。吹き飛ばされたら断崖をまっさかさまだ。中腰になってソロソロ進み風が弱まったのを見計らって通り抜ける。

この河に沿っては午後から強い風が吹く。上流の山が日ざしで暖められ上昇気流が発生する。そこに向かって川沿いに空気が流れ込む。これが強い風となるのだ。この風には次の日の河原に沿ってのトレッキングでも悩まされることになる。昨日の登りでも吹いていたはずだが追い風なので気にならなかったのだ。

途中の休憩の村で意外な人に会った。去年ネパ−ルとフランスの合作映画でキャラバンというのがあった。ヒマラヤを行くヤクの通商隊の話だ。年取った族長と若い指導者の葛藤の話。この老人をやった俳優、実は現地の素人がそこで昼飯を食べているというのだ。ドルちゃんがその老人を連れてくる。映画ファンの由美さんも飛び出してくる。一同並んで記念写真をとった。残念ながら逆光で老人の顔ははっきりと写っていなかったが、私は確かにあの俳優だと思った。由美さんは本物かしらとあとで盛んにいうのだが、こんな山奥で偽者やったって何の得にもならないでしょう。本物ですよと私。

ジョムソムまでの道は長かった。特に町並にはいってから今夜泊まるバッティまでが長かった。ついたところは何だ来るときに飛行機をおりて休んだ店だ。各バッティには看板娘というのか目鼻立ちの良い娘が一人は置いてある。客寄せというわけか。但し連中実に愛想が悪い。ニコリともしないでツンとすましている。ここの店には爺さんもいる。どうもボケているらしく、娘とか孫娘に邪険にされている様子だ。

ここのテント泊まりでは犬がうるさかった。昼には気がつかなかったが、夜になると吠え始めるのだ。しかも一匹が吠えると、他の一匹が吠える。これが一晩中続いて中々寝付かれなかった。一犬実を吠えれば万犬虚を吠えるという諺があるがまさにこれを地でいった感じだった。




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