今日からいよいよトレッキング開始。まず空路ジョムソムへ向かい、あとはトレッキングでカグべニへ向かう予定だ。ポカラ発八時ということで四時半に起きて朝食。目玉焼き、ト−スト、コ−ヒ−のアメリカンスタイル。山の気象は早朝には安定しているので、朝早い便が多いのだ。空港で思いがけず厳しい荷物チエック。兵隊が四、五人と雲をつくような大男の将校か軍曹。目玉がギョロリとしてかなりこわもてだ。荷物をあけさせビニ−ルの袋につめてある衣類をだせという。なにも怪しいものは無いはずだが。思いもかけず、このビニ−ルの袋がだめという。私のポケットに入れていた百円ライタ−もだめ。没収される。もっともこのライタ−はドルちゃん(シェルパのドルジェ)がわきの下にはさんで持ち込みあとで返してもらったが。こわもてな割にはかなり杜撰な検査だった。この検査の意味はどうもよくわからなかった。ビニ−ルも特定の種類が悪くて他のものはオ−ケ−だったようだ。あとで考えてみるとこれは環境汚染を防ぐためだったかも知れない。プラスティック類は腐らないので山に永遠に残ってしまうから。それだったら何故ある特定のビニ−ル製品はパスなのだ。結局この検査の意味はよく分からなかった。検査の兵隊が何か誤解しているのかも知れない。
飛行機は双発のプロペラ機。カリガンダキの峡谷に沿って飛ぶ。窓からは山腹が見え、我々の頭上遥か上に雪に覆われた頂上が見える。あっという間の飛行が終わって、かなりの衝撃を伴うランディング。ジョムソムに着いたのだ。ジョムソム空港はカリガンダキの河床の広いところを利用した空港でアスファルトの舗装はない。空港の入り口には土地の人が多数見物している。どうやって持ち込んだのかブルド−ザ−が置いてある。振り返ると巨大な山が。ニルギリだ。標高は七千メ−トルちょっとだが、距離が近いのでのしかかるようだ。山頂近くは急に立ち上がっており人間の顔のようだ。それにつづいて肩の部分がなで肩に落ち込んでいる。大部分は雪に覆われているが急峻な崖には岩肌が見えている。雪も付着できないくらい急なのだ 。
日出子、そばにいた榊原氏に「こんな山に登るのですか。尊敬しちゃうな」と話し掛ける。確かにこんな山に登るとは正気の沙汰ではない。と思いながらも登るとすればあそこの雪原を横切って、稜線に出れば何とか行けるかな、などと登山ル−トを考えてしまう。確かにこういう巨大な山塊には人をひきつける何かがある。
カリガンダキの支流にそってカグベニからムクチナ−ト方面へ出発する。ムクチナ−トはヒンドウ−教とラマ教の聖地。支流に沿って更にカリガンダキを上流にたどればムスタン王国。ネパ−ルに属してはいるが、今風に言えばトライバル・エリアというところだろう。ジョムソムはこの分岐点として昔から栄えた町らしい。今日の目的地カグベニの標高はジョムソムと同じくらいなのであまり登りはなく、それほど苦しくはないと思われる。
今年のサ−ダ−も去年と同じパサン。ポ−タ−は五人程度で去年よりは少ないようだ。そのかわり今年は馬それにロバが十頭程度とのことだ。馬もロバも小さい種類で、背中が我々の胸のあたりしかない。ロバは我々の荷物やテント、炊事道具など運んでくれる。去年のランタンではポ−タ−が全部運んだので、多少気がとがめたが、今年はそれがない分気が楽だ。ロバといってはいるが本当はラバ、馬とロバの間の子供だ。但し繁殖能力はなく一代限り。かぎりなくやさしい目をしている。振り分け荷物にして四十キロくらい運ぶそうだ。荷のあたる部分の皮膚がすれて赤剥けになっているのもいる。
道の両側の家並みが途切れ始め、やがて大きな河原に出る。幅は1キロメートル位もあるだろうか。丸いこぶし大の石がぎっしり。水は流れてはいるが今は小川程度だ。雨季にはこの河原一杯に水かさが増すそうだ。河原には獣道というか馬の通り道があり我々もこれをたどる。土地の人が馬を走らせている。走る姿はなかなか格好よいものだ。まず秀子が馬に乗ってこの河原を上流へ。馬方はいるが手綱をとるわけでもなく馬に勝手に行かせる。馬の名はと聞いたがそんなものはないらしい。この辺では動物はペットではない。実用的な生活手段なのだ。
二時間位歩いて小休止。向こう側の岸は高い崖になっているが、地層がはっきりと見えている。右側の地層では帯状の層が上下に大きくずれている。いわゆる断層だ。左側は大きな棒を差し込んでねじったように層が渦巻き状になっている。どういう力が働いてこのような大地のねじれがおきたのだろうか。
この辺では化石が取れるそうで、一同丸っこい石を拾ってきては割ってみる。私もその辺に転がっている、割れかけた石を拾って中をみると何とアンモナイトが。結局見つかった化石はこれだけだった。私は見つけたというより拾ったという感じ。よく知られているようにヒマラヤはインド亜大陸がユ−ラシア大陸に衝突したときにできた地球のシワだ。インドとユ−ラシアの間にあった海をテシス海と呼ぶそうだが、この海底が持ち上がってヒマラヤになったのだ。それでアンモナイトやウミユリなどの海底生物の化石が見つかるというわけだ。
小休止のあと出発。今度は日出子が馬に乗る。叔母と姪が同じ呼び名とはまったく紛らわしい。馬に乗った日出子は河原を行く。我々は河岸に刻まれた道をのぼってゆく。高いところから河原を見下ろすと、白い河原に数条の黒い水路が見える。ここで私の頭に浮かんだのは三途の河という言葉だ。この世とあの世を分ける河。この河を越えたらもうこの世に帰ってくることは無い。おそらく昔の仏教の僧侶が地獄のイメ−ジを表現するのにこのあたりの風景を借りたのではないか。こんなことを考えながら歩く。やがて遠くの河原が石の白い色から緑に変わってくるのが見える。大きな木々も見える。これは明らかに人工的なものだ。そうだこの緑は畑なのだ。畑の向こうには石造りの建物も見える。ようやくカグベニに近づいたのだ。しかしこの石の河原をあれだけの畑に変えるのは大変な労力だったろうと感心しながら村に入る。
カグペニの村は結構大きい。石造りの家。石畳の道。道の両側は石を積んだ塀、石囲いになっている。中は山羊やロバなどの家畜が放牧されているようだ。道の中央には仏塔のようなものが。ここを通るときは左側を通らなければならない。うっかり右を通ったら中島氏から押し戻された。これは宗教的な意味があるらしいが、基本的には一種の交通整理だろう。すなわち左側通行ということだ。ただ交通整理ということでは誰も従わないので、宗教的な意味をつけたのではないか。
今日の宿泊所のバッティに入る。大きな木のテ−ブルのまわりで一同休む。
ここの部屋に泊まることもできるが、我々は裏庭に張ったテントに泊まる。テントの方が快適なのだ。部屋といっても備えてあるのは木のベッドだけで、毛布やシュラ−フはこちらの持ち込みだ。おまけに蚤や南京虫がいるらしい。トイレは例のトルコ型で手動の水洗式。ネパ−ルで奉仕活動したお医者さんの手記を読むと、トイレを普及するのには大変な苦労があったようだ。お陰でコレラなどの伝染病は大分減ったらしい。
夕食まで時間があるので、皆さんは村の探検へ出かける。私は宿の周辺をぶらぶらしながら山や風景のビデオを撮る。宿の隣の広場で村人たちが五色の旗を綱に結付けている。この旗はネパ−ルのいたるところに飾ってある。旗の色はそれぞれ天とか地とかに対応しているのだそうだ。精霊信仰だろうか。突然ビデオのファインダ−に爺さんの顔が。指を立ててなにかいっている。ビデオ撮ったから金よこせ。と言っているらしい。せちがらくなったものだ。宿に逃げ帰る。皆さん帰ってきてこの町は迷路のようだと言っていた。大分面白かったらしい。奈々子の姿が見えないので方々探し回る。結局村に入るとき見えた畑のところに絵を描きに行っていた。日出子と二人で暗くなった道を迎えに行く。夕食は大きな食堂テントの中で蝋燭の光で。日出子は野菜が野菜の味がすると喜んでいる。確かに日本のハウスものの野菜はアクがなく味が薄くなっている。
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