「 『何』があるから、そうなれるのか。すぐに、親しい間柄になれる彼等。」 |
「Dek さんが、誰かと、初めて会う。」 「Lakpa さんが、誰かと、初めて会う。」 そのときに、私がいつも、感心し、うらやましく思っていることについて書いてみる。これは、Dek さん、 Lakpa さんだけでなく、二人が会っている相手の人にもいえることである。
昨日、Surti Khola スルティ・コーラの村でも見た。一昨日、Bimtang ビムタンの村でも見た。「Dek さんが、一人の女性と会う。会って話をする。」 何分もしないうちに、打ち解けあい、仲良しになる。微笑みあい、笑いあい、どちらからの会話も弾んでくる。お互い、相手を見る目、顔の表情がじつに親しげである。今までに何回となく会っていた、既知の仲間のようである。
「友だち ?」と聞くと、「友だちです。」と答える。「何回か会ったことがある、友だち ?」と聞くと、「初めて会った友だちです。」と答える。そのセリフは、Surti Khola のときも Bimtang のときも 同じである。
Lakpa さんについては、この翌日、Chamje チャムジェの村で同じようなことがある。このときは、Lakpa さんと、二人の女性との会話である。どこから見ても、この三人は、親友どうしのように見える。「Lakpa さんの友だち ?」と聞くと、「そうです。ぼくの友だちです。」という。「今日の前に、会ったことが何回もある、友だち ?」と、ていねいに聞いてみると、「今日、初めて会った友だちです。」と、予期した返事が返ってくる。
私に映る、彼等の、親しげな会話、表情は、それはそれは、じつにさわやかなものである。例えていうなら、「長いこと会えなかった、昔の、仲のよかった同級生に、久しぶりに会った。」 そんなときに見る「あの雰囲気」と、それは、まったく同じようである。
日本に住む私には、持ち得ない「何」かを、彼等は持っている。
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「どん村にも、必ず、そのいくつかはある。 『祈り』の表象物 」 |
今回の二十八日間に及ぶ Manasluの旅は、「感謝」と「祈り」の旅であったような気がする。高地に住む人たちからの、温かいもてなしをたくさん受けることが出来た。厳しいヒマラヤに生きる人たちの、熱い信仰心にも触れることが出来た。
人間としての生き方の基本を、あらためて見直す、静かな、ゆっくりとした時間がたくさんたくさんあった。そしてまた、「感謝」と「祈り」が、身体の奥の方で、ひとつに溶け合い、膨らんでくるのに格好の、bestarary ビスタライ、 ビスタールな時間の流れかたであった。
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1. |
Chorten チョルテン (仏塔。丸型が一般的であるが、角型もある。) |
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2. |
Mani マニ石 (チベット仏教の経文を彫り付けた石。その多くは オム マニ ベメ フムという経文が彫られている。) |
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3. |
Mendan メンダン (マニ石を長い壁状に連ねた塚。わきを通るときは、メンダンを右手に見ながら歩くのが礼儀である。) |
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4. |
Mani マニ車 (中に経文が入った円筒状の仏具。右回りに回転させると、経文を読んだことになる。) |
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5. |
カンニ (仏塔門。仏塔の基部をくり抜いて、門にしたもの。村の入口に据えて魔除けとしている。門の天井には、華麗な曼陀羅が描かれている。) |
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6. |
Tharcha タルチャ (タルチョともいう。経文を木版印刷した祈願のぼり。五色のタルチャがよく目に付く。) |
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7. |
Janda ジャンダ (竹の棒などに取り付けてある祈願旗。必ず五色で、上の方から、青 白 赤 緑 黄に並ぶ。) |
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8. |
流れ落ちる水を利用した水車 (Mani車を模している。マニ車と同じように、右回りに回転するように作られている。) |
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9. |
道の、真ん中に設置されているお墓 (小型のチョルテンのようである。) |
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10. |
Gompa ゴンパ (チベット仏教の僧院。) |
高地に住む人の真似をしながら、いたるところで、惜しみなく時間を使って、私もお祈りをした。
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「今回の二十八日に及ぶManasluの旅は、二人の弟への弔いの旅でもあった。」 |
今年、平成二十年二月二十三日に、私は弟、好雄を失っている。さらに、七月二十二日に、義弟の、誠くんをも失っている。
親の死も辛かったが、それでも四十九日を過ぎる頃には、なんとか、心の中を整理する力が出てきて、その辛さ、悲しさをかろうじて乗り越えることができた。しかしながら、弟となるとそうはいかないのである。未だに乗り越えられないでいる。
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「神のなされることは みな 時に適って 美しい ・・・」 |
旧約聖書の「伝道の書」の中にでてくる一節である。
「災難にあう時は あうがよかろう。 死ぬる時には 死ぬるがよかろう。」
これは、良寛のいった言葉である。
熱い信仰心を持つ、高地に住む人の、あの「祈り」を真似て、私もいたる所で祈りつづけた。厳しいヒマラヤの地に生きる人と同じように、感謝につながる、あの「祈り」を、時を忘れて祈りつづけた。
マニ石に手を触れ、額をつけ、そして祈る。チョルテンの前では、ひざまずき、そして祈る。ゴンパの所に来ては、ひれ伏して、あの五体投地を真似てみる。
あと一つだが、つかみ得ない「何」かがある。
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「Annapurna Himal アンナプルナ・ヒマールは、やはり人気のある山である。」 |
Bimtang ビムタンからDudu Khola ドゥド コーラに沿って、山を降りてきた。ミルクという意味を持つ、白濁色のDudu川が、緑そのものの色をしているMarsyandi River マルシャンディ河に合流する所が、Darapani ダラパニ という大きな村である。
Darapaniに入ったとたん、急にたくさんのトレッカーに会う。これまでとは違う。今までは、一日目からそうであるが、多くても、日に二組か三組の登山グループしか会わなかった。それがここへ来て、すれ違うときの「namasti ナマステ」の挨拶は、「Hello」に変わるし、お互いの数が多すぎて、「Hello」の挨拶も、時々「パス」をする。
荷物を背に載せて運ぶ、danke ドンキと呼ぶ馬が、十頭も二十頭も連なって来るのに出会うこともある。このDarapaniの村で、Annapurna一周コースと合流するからである。
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いつも八品以上はでてくるAsaアサさんの食事。日本食ばかりをつくりながら六年がたつという。とにかくうまい。 |
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