「一人旅のすすめ」 |
私は、二十代の頃から三十代にかけて、南アルプスに魅せられて、約十年登りつめたことがある。その頃は、人の住む山小屋などどこにもなく、山も深いため、一日誰にも会わない、そんな日もあった。なぜか、この南アルプスに入るときだけは、単独のスタイルをとった。
今回の、二十八日間のManaslu トレッキングに、これが経験として生きたかどうかはわからないが、大きな山、大きな旅になると、私は、この一人のスタイルが好きなのである。
それでも、今回の山がヒマラヤであるために、崖から飛び降りるような、そんな思い切った決心、決断をすることも、何度かあった。そして、それなりの苦労もずいぶんしてきた。
終わってみて、あらためて 「一人旅はいいものである。」と思っている。
「いいもの」の具体例は、これまで書き連ねてきたが、そこに書けなかったいくつかを、並べてみることにする。
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1. |
「一人でいるより、二人でいる方が、はるかに楽しい。」という、当たり前のことが、心の深いところで、実感できたこと。 |
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2. |
「ネパールの国に入ったら、その国の、ネパール語を使い、その国の、ネパール人とたくさん接し、ネパールの国をよく理解する。」という、当たり前のことが、たやすく、実行できたこと。 |
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3. |
「感動した場面」に出会えたとき、それなりに、たっぷりした時間をかけ、ゆっくり、ていねいに味わい、その感動をさらに大きく、ふくらめていくことができたこと。 |
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4. |
写真好きの私にとっては、誰に気兼ねもせず、どこでも、何枚でも、気のすむまで写すことができたこと。 |
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5. |
kitchen スタッフ、ポーター達と、すばやく仲良しになり、深い付き合いができたこと。 |
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「これが これこそ ネパールだ。」 |
Khudi クディから、かなり早足で下山してきたので、Besisahar ベシサールには、昼を少しまわったところで着いてしまった。
一、二時間も待ったら、バスが来るのかな、と思って待っているが、なかなかそのバスはやって来ない。三時になっても、五時になっても、六時を過ぎても、来るはずのバスが来ない。予定では、今日の六日、Besisaharから五時間バスに乗って、Kathmanduに着くことになっている。
「下山してくる私たちにあわせて、バスが来る。」 「私達が、バスの着く時刻にあわせて、下山してくる。」などという芸当は、日本のもので、このネパールには通用しないのである。
バスが来るのか、来ないのか、誰も知らない。それなのに、kitchen スタッフもポーター達も、平然とした顔をしている。
『ネパールでは、何事も、ビスタールの国です。時間どおり、予定通りに物事が運ばない場合も多々ありますが・・・』と言っていた、コスモの社長さんの言葉が、また頭をかすめ、そしてまた「そうか、Kangchenjunga のときにも、そんなことがあったな。」 と、四年前のことを思い出して、バスのことを考えるのを止めることにした。
結局、来るはずのバスは、来なかった。
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「Asa さんの特製ケーキ (HAVE A NICE LAST DAY)」 |
予定になかった、Asa さんの手作りランチを食べ、そして、これまた予定になかった、Asa さんの手作りディナーを食べた。
六時四十分。Asa さんの特製のケーキが、また、届く。
チョコレートのおいしいケーキを食べながら、このBesisaharで、もう一泊するのだなと思った。このケーキも、予定の中にはなかったものである。大きな料理包丁の柄は、銀紙できれいに巻かれている。Asa さんの、私への思いが、特製ケーキの飾りつけの、あちこちににじみ出ている。
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