Himaraya Trekking
マチャプチャレ、アンナプルナ、ダウラギリ眺望トレッキング(その2)
新潟県 七澤恭四郎 |
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3:00頃小用に起きると満天の星空である。「寒い」ヒーレの集落も、谷を隔てた向こうの集落も、街灯らしきものが灯っている。前に聞いた話だが、ネパ−ルには日本人が作った手作りのミニハイドロ(小水力発電所)があると言う、「あ!それかもしれない」と思って、寝袋の中にもぐり込む。
4:45鶏が時を告げ目が覚めた。テントの中でゴソゴソしていると外から、聞きなれない日本語で「おはようございます」の声が聞こえる。早速テントのチャックを開くと、「コ−ヒにしますか紅茶にしますか」、アシスタントガイドのアムリットがやかんを持って立っていた。二人ともコ−ヒ-をもらう。飲み終わったころ、洗面するための容器に入ったぬるま湯が来る。まさに大名旅行である。
谷の向こうの朝日を浴びた黄金色の光っている棚田と集落がまばゆい。よく見ると屋根はトタン葺きと草葺きがある。あとで聞いた話だが、どうもトタン葺きは兼業農家で、トレッキングシ−ズンの10月から3月までの乾季に、ポ−タ−やキッチンボ−イに雇われ、雨季には自分の家の農業や牧畜をやる農家であり、草葺きは昔からの専業農家のようだ。
またバッティ(茶店)人達は、商才にたけていて、片言だけの外国語だけで観光産業に参入して、現金収入を得ているのを見ると、まるで戦後まもない日本にタイムスリップした感じである。
6:00朝食。食後アシスタントガイドのアムリットとハスタと共に写真を撮る。傍らでキッチンボーイとポ−タ−はテントと食器、食材をパッキングしている。
7:00ヒレ出発。7:30ティルケドゥンガ(1,577m)に着く。集落のはずれにある吊橋に差し掛かり、サ−ダ−、ディビと写真を撮る。彼は温厚且つ従順そうな男で、女の子が一人あり、カトマンドゥの大学にいっているそうである。(載せたい。)
渡りきると、このコ−ス最大の難所である高度差600mの急な登りとなる。下から上まで急坂が続くが、チャプレティ、トゥンガァ(平らな石)で組まれているので歩きやすい。途中バナナの木、桃、桜の木もある。
桜の木については年に二回咲くそうである。水牛のつないだ牛小屋もある。
8:30日差しが強くなったので、急坂の途中にある見晴らしのいい茶屋で一息入れる。右側の山の間にアンナプルナサウスが見える。トイレを借りるため裏に回ると、小さな畑があり、ミニトマト、フジマメ、ササゲがなっている。少し離れたところにムカゴがなっていた。日本のものの3倍ほどある、さぞかし地下にある芋は大きいだろう。
9:10ウレリ(2,220m)に着く。相変わらず棚田は続き、所々に急流の小さな川が沢筋に流れており、そこから水を引いている。水はきれいであるが、上流部に放牧場があったりするため、我々には飲めない。集落の周りの畑にはサトウキビ、ニンニク、大根、ソバ、ヒマワリ、サトイモなどがある。標高が上がって水田がなくなるころ、段々畑となりシコクビエが植わっている。暑さのため歩くテンポが遅くなる。ドイツ、イギリス人の若い女性のグル−プが、ポ−タ−といっしょに追い越してゆく。彼女達は短パンなので、かなり日焼けしている。中には、上背が1.80m以上の人も4人ほどおり、100Kg以上の人も2人ほどいた。大層疲れているようであるが、挑戦しているのだ。われわれもがんばろう。
10:40バンタンティ(2,300m)に着く。ここは二つの集落に別れており、奥の集落の茶店に入る。いつものテ−ブルクロス(キッチンスタッフが運んだもの)の引かれた台に向かって、昼の時間帯が早いので歓談しながら茶を飲み昼食を待つ。
食後時間があるので、外に出る。北側にアンナプルナサウスとヒウンチュリが見え、茶店の谷側に張り出した外のベンチとテ−ブルにはさっきの彼女達が、寝転んで日光浴をしている。豊満な肉体は日焼けして真っ赤になり、さぞかしヒリヒリしているであろうが、びくともしない。あまり見とれていると変に思われるので、道路側に行く。重い荷物を篭(ドッコ)一杯に詰め込み、草履型サンダルで歩くポ−タ−、中にはサリ−をまとった女性のポ−タ−も何人かいた。暑いのに大変であろう。
12:00出発。うっそうとしたラリ−グラス(シャクナゲ)の密林を通って行く。幹周り80cm位のものはざらにあり、つたと寄生植物がついている。ところどころにイタヤカエデや栃のような木もある。小さな沢が流れて、斜面にミズナが一面に生えているところに来た。視界が開け小さなコンクリ−トの橋を渡る。少し登って、小1時間ほど行く。
13:30ナンゲタンテイ(2,500m)で一服する。また森を1時間ほど歩いて、石段混じりの道を登ると、ゴラパニ下村に着く。ここは山々の眺望はまったくない。さらに20分程登るとゴラパニ.デオラリ(峠)(2,853m)上村である。ここは見晴らしがよく、ロッジ兼店に山の中にしては食料その他色々なものが売っており、トレッカ−相手の露店もある。
15:45ようやく天場に着く。「あ−そうだ」、昨日予備の電池を岩手から来た太田夫妻に橋本先輩と二人で貸したのを思い出し、請求する。(貸したものは、売店でさぞかし高いだろうと思ったが、どうなのだろう?)
私にとって電池は、明朝プ−ンヒルに行くためのヘッドライトと写真機の予備でもあり、橋本さんにとってもデジカメの予備なのである。太田さんはすぐに買ってきてくれた。テントを出て道端の露店に行く、先に来た仲間が5〜6人いて、しきりに値段の交渉をして、例のごとく値切っているようだ。チベット仏教仏具の鐘や仏像、数珠状の腕輪、ヤクの毛で編んだ鉢巻状のバンダナと色々ある。中でも売り子が「アンモナイト」と言っているのを見ると、石を割った中に、丸くきれいに入っている。ほしいが何千ルピ-もする、ガイドに聞くと、どうも贋物らしいのでやめる。
17:00食堂に集まり明朝のスケジュ-ルを中野さんより聞く。プ−ンヒルへはここから1時間強で、ダウラギリとアンナプルナの峰々が大きく見える素晴らしい展望台があり、特に日の出の美しさは格別なので、翌日早朝登る、との説明があった。そのあと仲間でお金を出し合って、ポカラよりも二割増しぐらいの高いビ−ルを飲む。
18:00夕食。食後テントに戻ると、市川さんからの差し入れがあった。早速焼酎の水割りを作って飲む。明日は待望のプ−ンヒル登山である。20:00就床。
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