Himaraya Trekking
 
マチャプチャレ、アンナプルナ、ダウラギリ眺望トレッキング(その1)
                             新潟県 七澤恭四郎

10月8日
 真夜中の1:00に上越市から山の先輩橋本さんとタクシ−で出発、他に同じトレッキング参加の市川夫妻も乗っている。途中新井で2名乗り、6:40成田空港第二タ−ミナルに着く。二人でうどんを食べ航空会社のEとDカウンタ−の間で、ツア−の参加者を待つ。最初に旅行会社の中野さんが来る。9:00の集合時間には参加者20名全員そろう。搭乗手続き、出国手続きをして、出発まで時間があるので免税店で、トレッキング中に飲む酒を買う。

10:40搭乗、11:30タイ航空TG 641にて出発、隣の席は市川夫妻である。機内食ではビ−ルを飲み、鰻重と寒天のプリンが出た。バンコクの空港には15:35(時差2時間)に着く。ホテルに行く。マイクロバスに乗ると現地で結婚した加与子さんという、70代のガイドが乗ってきてよく説明してくれた。

17:00サイアム・シティ・ホテルに着く、集合と同時に部屋の割り振りがあり、橋本さんと同室である。

18:00よりホテル別棟で夕食(タイ風水炊き)そこでは結団パ−ティがあり自己紹介も行われた。

22:00就寝。


10月9日
 5:30起床、7:00朝食、8:00バンコク空港へ行く、11:30タイ航空TG319にて出発、途中で中野さんが「エベレストが見えるよ」と教えてくれた。窓の向こうに本当に見えるではないか、私にとって感慨ひとしおであり、これからの山行が実に楽しみである。
 カトマンドゥ空港に13:56(時差1時間15分)着いた。 空港には空軍基地も併設されているのと、一月の戒厳令から警備が厳重になったので、兵士がたくさんいるようだ。
写真機を向けることは出来ない。一抹の不安を感じながら降りる。

ネパ−ルについて
* 面積 147,181平方Km  *人口 2,300万人位  *公用語 ネパ−ル語  *国教ヒンドゥ−教
*国民総生産一人当たり 250ドル位  *通貨 1ルピ−=1.6円位  *カトマンドゥ市の人口67万人位(カトマンドゥはインドとチベットの交易ル−トの中継地であり、チベット仏教とヒンドゥ−教が混然と溶け合い、同等に人々から信仰されている不思議な都市である。)

 入国手続きを済ませ、空港で現地スタッフが出迎えてくれ紹介があつた。
* 登山家. 奥田仁一 (三重県出身、 現在カトマンドゥ在住、 関西大学山岳部OB)
* サーダ−、ディビ・ライ(高所族のひとつライ族の出身、日本遠征隊のキャラバンサ−ダ−を何回もつとめている) 他に数名のスタッフがいた。
 国内線タ−ミナルへ移動しようとしたら、親切そうなネパ−ル人が荷物を運んでくれる。不思議に思っていると、その後で「チップ、チップ」とせがんできたので、奥田さんに聞くとスタッフの仲間ではないというので、無視することにした。仲間で千円札を出そうとした人もいたそうである。
急にスコ−ルが降ってきて、出発が3時間ほど遅れる。
17:10にカトマンドゥ出発、これからネパ−ルの中央に位置するポカラ空港に行く、途中右翼前方にマナスルが見え感動する。

 17:40ポカラ着。(ネパ−ル第二の観光地でペワ湖があり湖畔の丘の彼方に、今回眺望する山がある町、標高900m)。
平地に砂利だけを引いただけのような滑走路に降り立ち、のどかな2階建ての空港ビルを出る。小さな軽自動車に荷物を積み、中古のマイクロバスに乗り、ペワ湖岸のレイクサイドに向かう。途中道に柵で囲ってある大木がところどころにあり、中野さんに聞くと菩提樹のある休み場だそうだ。そこにはたくさんの現地の人と露天商がたむろしていた。また明日からダサインと言うお祭りがあり、その前夜祭のため人が出ていると言う説明があった。時々路上で山羊を引き連れた人、また軒先で山羊をつないでいる人を見る。これは祭りの最中生け贄となりご馳走になるそうだ。

 18:00ホテル.トゥルシ.ポカラに着く、女性従業員がシャツの胸ポケットや頭に付ける、花飾りを一同にくれた。まず打ち合わせをやり、スタッフバッグ、ミネラル.ウォ−タ−などをもらい、ネパ−ル.ルピ−の両替(10,000円に対して5,850ルピ−)をする。鍵を受取り部屋に荷物を入れる。
やっとポカラに着いたのだと橋本先輩とベッドに15分ほど横になった。

 19:00夕食を取るため外に出て中華料理店に行く。まず ビ−ルをたのみ乾杯。つまみにスナック菓子、そのあと炒め物、ご飯などが出る。どれもまずいが、食べなくてはならない。
帰りに土産物屋により、アンナプルナ.ポカラの刺繍の入ったシャツと鹿の皮で出来た財布を旅行者用の値段より、値切って買う。
部屋に帰って翌日の用意をする。荷物を三個にわけ、帰るとき必要なものでおいてゆくものをス−ツケ−スに、トレッキングに携行しポ−タ−に預けるスタッフバッグ、最小限度の携行とカメラをサブザックにつめる。祭りの前夜のため外からざわめきの音が聞こえる。22:30就寝

10月10日
 5:00起床、前日つめた荷物のパッキングを点検する。朝食は5階の屋上と言うのでカメラを持ってあがる。ペワ湖の北側に位置する丘サランコット(1,590m)の向こうに朝日をあびた白く輝くヒマ−ル(雪山)アンアプルナサウス(7,219m)と天高く聳えピラミットのようなマチャプチャレ(6,993m)を見る。

 6:00紅茶を飲みパンにジャムをつけ朝食をとる。
6:40各自3個に分けた荷物を玄関前に持って行き、一個はホテルに預け、他の二個はトレッキングに持ってゆくのである。

6:50集合。点呼と説明をしているときバスの屋根上にサーダ−のディビと運転手がスタッフバッグとテント、シュラフ、食料、食器などをつける。

7:00マイクロバスにて出発、ポカラのメインストリ−トを抜けバグルン街道に入る。途中レンガやコンクリ-ト建ての朽ちかけた粗雑な建物を見ながら進む。国立公園事務所前に止まって入園料(国立公園入域許可証)を確認しているとき、山のほうから100頭近い山羊を連れた一団が来る。
これも生け贄になるヤギだろうか。川に沿った道を行くと田畑が広がってきた。小さな沢添いの潅木地帯の道をガタゴトと上がってゆく。左下遠方にポカラのペワ湖が見え、すぐ下には段々の水田と集落がある。
一山超えて谷に下るとトレッキングのスタ−ト地点のナヤプル(1,000m)に着く
9:00。

バスから降り屋根上の荷物を下ろすと、打ち合わせが始まった。ツア−参加者と中野さんで21名、トレッキングスタッフ52名の総勢73名の隊である。ツア−参加者は9:30にA.B二班に別れ、先頭に奥田さん、中間にアシスタント.ガイドが4〜5人おきに4名付き、後尾にディビ・ライさんが付いた。
われわれの出発前にスタッフの中のキッチンスタッフは、昼食を作るため、ポ−タ−は宿泊地にテントを張るため出発した。

街道脇にたくさんのバザ−ルが並び、トレッキングコ−スに入るがまだ続く、石段を下ってつり橋を渡る。渓流モディ.コ−ラ(河)に沿って歩く。小さなバザ−ルがたくさんあり、子供が手を合わせてナマステ(こんにちは)をしてくれる。ティ−ハウスの中をのぞくと、竹で編んだかごの中に7〜8ヶ月の赤ん坊がおり、それを兄ちゃんらしい、3〜4歳の男の子があやしていた。

 10:15モディ.コ−ラに架かる鉄橋を渡ってビレタンティ(1,050m)に到着。ここは渡る手前にチャンドラコットからの道と合流するところがあり、渡橋後すぐに、左手がゴレパニ、右手がガンドルンへの道に分岐するところである。
ビレタンティは河岸に広がる集落で、ロッジが十数軒と渓流が眺められる張り出し式のレストランやカフェがある。集落を出ると、ブルンディ・コ−ラに沿って石畳の緩やかな登りとなる。小さな滝を左手に見ながら道の先に下ったところに、三人のポ−タ−がチヨ−タラ(石を積み荷台になっている休憩する場所)で背負籠を下ろして一服している。籠の中にはスタッフバックがあり、三個入っているのは体が小さい15〜16の少年の背負っているもの、四個入っているものは青年が背負っているものであった。橋本さんと脇を通りながら、こちらはサブザックの中に少量の携行品とカメラだけである。「大変だねえ」と話しながら通り過ぎたがすぐに追い越されてしまった。話に聞くとポ−タ−はネパ−ル語だけしか話せなく、重い荷物を背負っていちばん大変なのに、賃金がいちばん安いと言う。川原の少し広いところに出ると、細長い水田が何十枚かあった。畦に豆も植わっている、50年位前の日本の田園風景を思い出さずにはいられない。

11:30スダミィにて昼食。先に来たキッチンスタッフがレストランの、一箇所を借りて作ってくれたのだ。まずかんきつ類のジュ-スそのあと紅茶と主食。食べ終わってからトイレに行く。簡単な木カンヌキ錠のドアの中は暗く白い陶器の便器が光っており、金隠しがなく後ろのほうに穴が開いている。入り口のすみに口の切ったポリタンに水が入ってヒシャクが、置いてある。また拭いたペ−パ−の入れ物もある。雑な入り口に対して中は以外にきれいであった。
ヒティ(沢の水を引いた水道)で手を洗う。ここでは盛んに食器を洗っていた。

12:40出発。大人と子供の混じったガイネ(辻音楽師)が、鈴やラッパやドンジャラや太鼓で大道芸をやっている。私は通り過ぎたのだが、他の仲間でルピ−の紙幣をやる人もいた。チャプレティ、トゥンガァ(平らな石)を敷きつめた、道を行く。石畳の繋ぎ目は凹んでいるので、隊商のロバの糞がと言ってもその中の繊維質のみが残ってこびり付いているが、時々両側のバッティ(茶店)の人が水を撒くからきれいになっている。道は急になってきた、見事な芸術品とでも形容したくなる、立派な石畳の階段が続く、左岸の山腹斜面には600m位の落差で水田の階段耕作地が広がる光景が展開する。見事だ、日本の四国や北陸、信州など比べものにならない。まさに「耕して天に至る」である。

14:20ヒレ(1.524M)に着く。道から外れた小さな広場に行くと、すでにテントは張られていた。予定ではティルケドゥンガ泊だったが、集落に大きい天場が無い為ヒレ(辻音楽師)にするとの説明があった。まず二名ずつに振り分けられ、便所について女性は茶店のすぐ近く、夜中でも電気がついているところ、男性は炊事場裏の穴を掘って、テントで囲ったところとの事であった。ヒティ(水道)は一つなので、食堂の洗い物から手洗いまで、全部ここでやらなければならない。二重張りのテントに入る。中にはグランドシ−トとマットの上に寝袋がある。臭いもなくきれいに洗濯されており、二人で安心する。

15:00食堂用のテントでティ−タイムをとる。集まった人たちだけで16:00にもう一度夕食前に一杯やろうじゃないかと言うことになり、またテントに戻る。
橋本先輩に「成田で買った酒はあるかね」と言われ、私ははっとした「しまった」、ホテルに預けたス−ツケ−スの中に忘れてきたのだ、大変申し訳ない。早速店まで行きウェスキ−小瓶を150ルピ−で買い求める。何とかあってよかった。
16:00より各自持ち寄ったもので、宴会が始まり、宴たけなわになったと思ったら、もうすぐ夕食になるから、テントを出るようにとの連絡がサ−ダ−からあった。

18:00全員トレッキング第1日目の夕食を食べる。食後ランプの光の中で、新潟市から来た長田さんを含め5人で写真を撮る。19:30就床






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