1. |
歴史 |
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現代ネパールの始まりとされている1950年以降5回にわたる憲法の改正が行われ今また6回目の暫定憲法が政権議会のもとに7回目の憲法作成を試みており常に政治的不安定がネパール政治の特徴でもある。
また、国王を中心とする専制的王制と単独政党による支配、立憲君主制と複数政党による2006までの政体、いままた民主共和国と言うネパールがこれまでに経験したことのない新しい方策を新しい憲法のもとで模索している。
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2. |
政治シナリオ |
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マオイスト派のダハール議長が政権を投げ出した2009年11月19日からそれを受け継いだ共産党統一派と呼ばれるマダブ・クマール首相の政権は派内からの反乱もあり20106月30日で崩壊したが、受け皿となる各政党は党内、党間での合意がならず以後7ヶ月にわたってネパール首相による管理内閣が続いた。
マオイスト派はダハール議長、バッタライ副議長、バイデア副議長の3つの派閥の権力闘争が激しく最大政党でありながら政権獲得に至らず、共産党もカナール委員長派とネパール首相派が互いに譲らずコングレス党は議員団団長でもあるパウデル副総裁が16回の投票でも各政党や党内からも支持を得られず政局が混迷した。
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3. |
援助による国家予算 |
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ネパールは国家予算のかなりの部分が有償、無償、など先進諸国國際金融機関からの援助に頼っている。政治が悪化している事からこれらの機関はたびたび政府に対し新憲法の制定、政党間の政策合意を呼びかけているが進捗の兆しはない。
日本を含めたアジアの国々からの声はあまり聞こえないが、イギリス、アメリカ、フランス、デンマーク、ドイツ、世界銀行、アジア開発銀行などからの圧力は必ずしも弱くない。 政治の不安定から国民生活に直結する各種プロジェクトは進展が無く、例えばインフラの整備遅れから飲料水は2日に一時間程度の給水、電気は一日10時間以上の停電が恒常化しておるが政府からの反省の声はない。
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4. |
マオイスト派内部の権力闘争 |
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4日間にわたって開催された拡大委員会の会議は結局殆ど成果を得ることなく終わった。明らかになった事はダハール議長とバッタライ副議長、バイデア副議長の3首脳の軋轢が大きくなり派閥、権力闘争が顕在化したことである。
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5. |
最高裁判所 |
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政局の混迷、行き詰まりには2つの問題があった。1つは新首相の選出、2つ目には国家予算の承認にあった。ネパール首相は既に6月30日に辞任し以来7ヶ月を経ても新首相の選出が出来ず、ネパール前首相による管理内閣が続いており、国家予算は7月15日の新会計年度以来いまだにこれも承認されいない。
最高裁は11月に至って懸案事項の解決を図る為、繰り返しすでに10回を超えて繰り返される首相選出に関する投票の無駄を理論的根拠をつけて11月10日に政党と議会に通知したが、これも15日には議会が延期した。一方予算については首相選のあおりを受けて又もや店ざらしとなった。最高裁の決定は各党派が反対しているコングレス党の単独立候補は合憲としたにもかかわらず。
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6. |
国民は |
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国民は憲法制定について少しずつはわかってきたようであるが、政治日程とおりに新憲法が国民に提案されるこには懐疑的である。そのプロセスや制度そのものが説明された事は無かったことにより連邦制や共和制について理解しているひとは殆どいなかったといえる。
また、包括的和平協定のもとで平和的に権力の移行や暫定政府、制憲議会が実現したにも拘らずその後数年を経ても新憲法の制定と本格的国体が決まらない状況が続き結局制憲議会の任期も2001年5月28日まで一年間延長することになった。
しかしながら、依然として国民の新憲法制定のプロセスや連邦制、共和制への理解は少なく、とりわけ地方の女性の理解度は非常に低い。
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7. |
UNMIN(国連の武器、紛争に関する監視団) |
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(現状) |
UNMIN(United Nations Mission in Nepal ) は7回にわたる任期の延長を終わり2011年1月15日でネパールを離れた。 |
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UNMINの7度にわたる任期の延長も2011年1月15日をもって終了しネパールを離れた。この間マオイスト武装兵士の宿営地への収容、武器の管理、未成年者や闘争終結後に加わった兵士などの解放など作業は多大を極めた。 本来的にはマオイスト兵士の国軍への編入とそれに加わらない兵士の職業指導も期待されていたが時間切れとなった。
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8. |
被害者の救済 |
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1996年から10年間にわたるマオイスト派と政府の戦いは多くの死傷者をもたらした。共和制を敷いた新しい政府の復興を担当する、SRC(State
Restructuring Commission),CID( Commission of Inquiry on Disappearance),
TRC(Truth and Reconciliation Commission) 等が復興作業にあたっている。
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9. |
国内の安全保障 |
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ネパールのインド国境は非常に紛争や犯罪が増えている。とくに中南部、東地区は政治グループから離脱した武装小グループや政治団体を装った犯罪グループが政府役人や企業者を手紙、電話などで脅迫しており、携帯電話はもはや武器といっていい。そしてその携帯電話の多くはインド・ナムバーが多い。
また。警察官と共謀した犯罪グループも多くこれ等がセキュリテイを助長する原因となっている。カトマンズなど大きな都市部ではあまり見られない現象である。また、この様に治安がいまいち定まらない状況にも係わらず観光客などの訪れる外国人に対する犯罪は皆無のようである。
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10. |
YCL(Young Youth League マオイスト派青年部) |
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各政党はその下部組織に青年部を持っているが、とりわけマオイスト派の青年部YCL(マオイスト派青年団)の活動は過激であり、これがマオイスト派が国民の支持を失ったり、他の政党が協調しない原因となっている。しかしながらここ数ヶ月では従前と比べその過激さが少なくなり、他のグループとの協調姿勢をみせている。
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11. |
国家予算 |
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ネパールの会計年度は7月15日から一年間であるが通常6月下旬から遅くも7月第1週には予算の国会での承認が得られていたが、ここ3年は年度内に予算が日程とおり承認された事はない。理由は簡単でマオイスト等新しい政党が国会運営の経験無く遅滞したからである。税収はマオイスト政権の3年前が前年比54.5%増どったのが、ここにきて前年比11.2%増に落ち込んでいる。
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12. |
経済 |
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マオイスト派などとの闘争が終わ安定的政治が見えてきたが国政運営の稚拙から国家予算が承認されず、民間経済にも影響が現れている。この2ヶ月だけでも國際収支は4.36billion
rupee(約50億円)マイナスに達しており、輸入超過が前年同期比34.5%増(約50億円)となっている。 また、頻繁に起こるストライキ、サボタージュが工場の操業停止や閉鎖につながっており必ずしも先行きは明るくない。
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