2001年4月18日(水)  
夜中に、パラパラ音がするなと思っていたら朝から雨だ。7時55分雨カッパを着て歩き始める。最初から200mほどを一気に登る急坂で、さすがに元気なポーター達も休み休みだ。
坂を登りきった頃に雨もどうやら上がる。一休みして雨カッパをしまい少しゆるくなった道を急ぐが、辺りの景色は次第に荒涼として機褐色一色に染まってくる。
ガイドブックにあったチベット的な風景とはこれをいうのか。エクリバッティへの分岐を過ぎ(9時7分)、小さな峠を越えて少し右に回ると展望が開け延々となだらかな道が続いて見えてくる。でも雨上がりで雲が厚く山の方は全く隠れてしまって何も見えない。

聖地ムクチナート詣でも今がシーズンらしく、多くの巡礼姿に我々のようなトレッカーや荷物を乗せた馬やロバが盛んに往き来している。
休んでいたら「どちらからですか」と突然声がかかる。北海道から4月4日に出て26日まで滞在してあちこち歩くという70才の方だった。
変わった人で名刺をくれというが外国の山中ですぐにも名刺が出せるものでもなく、メモを渡したが、是非北海道の山にも来てくれとPRだけは忘れずにしていった。ネパールのこんな奥地でも日本人がちらほら見かけるほど、日本は少しは豊かな国になったのかな。

途中のキンガル村では、道端に色鮮やかなマフラーらしいものがぶら下げられている。今までに見かけなかったもので、早速に元木さん値切り始める。お土産にたくさん買い入れられたようで、私も便乗して同じ値段で1枚買う。
高度もこの辺りでは3,500mは越えているようで、ゆっくり休み休みしながら歩く。ジャルコット(3,612m)に11時20分着、カクベニから3時間25分で予定より早く着いたようだ。ホテル、ヒマリーに入って庭にテントを張る。

昼食後、荷物を置いて12時45分聖地ムクチナートに向かう。ラーニバニ村から道を分かれ少し登ったところがムクチナート(3,800m)だった。
14時着。もう富士山よりも高い所に来たのだ。特に頭痛も息切れもないようで、まあ高山病は安心というところか。まず、ヒンドゥ教寺院のムクティナラヤンにお参りする。108個あるという水口から流れ出る聖水の音がとうとうと境内に響いている。信者さんは聖水を頭にかけ、身を清めてお参りをしている。少し離れたジョラムキ・ゴンパとしうチベット仏教の寺院の方に回ったが、ここで少し変わったものが見られました。聖火というのだろうか、お堂の金網で囲われた中で青い炎がチョロチョロと燃えている。地中からの天然ガスが燃えているらしいが、堂内はガス臭くてたまらない。昔から神秘な場所として信仰されてきたようだが、物事がまだよく解らなかった頃では、本当に不思議なものだったろうと思う。

ジャルコットに戻るが、山は依然として厚い雲にかくれて展望は全く駄目だ。まあ明日に期待をかけるしかないと諦めていたら、夕方になって少しづつ雲が切れて山々が見え始める。
いや驚いた。東にはトレシピック南・北峰の5,000m峰が、西にはダゥラギリ山群の6〜7,000m峰が壁のように連なって見えているではないか。そしてダゥラギリ(8,167m)もちょっぴり覗いているとは。明日の朝に期待して早々に休むことにする。
高所だから少しは寒いのではと思っていたが、昨夜とあまり変わらなくてよく眠れた。

2001年4月19日(木)  
5時にそっとテントを抜け出し、昨日下見のポイントにカメラを据える。天気は快晴で雲は殆どなく絶好の撮影日和だ。もし、今日が駄 目だったら予備日をあててもらおうと昨夜二人で話していたところだったが。
まず、8,000m峰のダゥラギリだ。頭が少し輝き始めたのでビデオを回し出す。次は第二のポイントで西のダゥラギリ山群だ。そして最後は、ホテルの庭からのトレシピック南・北峰だ。
これだけいい条件で撮影出来て大満足。さあ、予定通りに今日は下山するぞ。
ジャルコット、8時05分下山開始。
エクリバッティ、10時45分着。昼食後11時30分発。
ジョムソム、13時35分着。再び、ホテル、ムーンライトの庭にテントを張る。

早く着いたので、旅行社の「旅のしおり」の予定表に載っていた、街道一の美しい村というマルファに行ってみることにする。
荷物をおいて14時55分歩き出す。少し風が強くなって小雨も降りだす。元木さんが途中で帰るというので、ガイドのバルクマンさんと二人でどんどん歩くが、次第に雨が激しくなる。
16時05分マルファ着。山陰になっていてこの辺りは風が当たらないらしい。村の中は少し狭いがすべて石畳の道で家もきちんとした造りのようだ。
の中央のお寺にお参りするが、なかなか立派なチベット仏教のお寺で立派な仏画がたくさん飾られていた。老婦人が1人お参りしていたが聞くと英国の方で何かの研究者らしい感じの方でした。17時50分ズブ濡れでジョムソムに帰着する。

2001年4月20日(金)  
朝今日はここで皆と別れ3人だけでカトマンドゥに帰るので7時に空港に行く。5人はこれからジョムソム街道を下りポカラまで歩いて帰るというが、3日程かかるという。
次々とフライトしてゆき次ぎの飛行機に乗るのだと思っていた時、急に空港職員が来て何やらわめき出す。バルクマンさんと盛んにやりとりしている。ついに、第二のハプニングだ。私ら3人に別の飛行機に乗り移れとの話らしい。
予定の飛行機の調子が少し良くないので、積載重量を軽くするためとか。荷物は予定通り積み込まれているので行方不明にならないかと心配する。大きく遅れて最終の8時30分の出発となり、ポカラには9時着。心配していた荷物も無事でやれやれだった。

すぐに乗り換えて、カトマンドゥ10時30分着。ホテル、チベットには11時に到着する。ガイドのバルクマンさんに長い間のお世話を感謝し別れる。
早速に停電で暗いシャワー室で久し振りに汗を流すが、カトマンドゥはやはり少し暑く初夏のような気候だ。
最後に、食事ですがコックのディネシュさん、山の中でありながらもいつも工夫して、私達日本人の好みに合った美味しいものを作ってくれました。最後になりましたが本当にありがとうございました。


 


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