それは、2月12日に昔の勤務先の関連旅行会社を経由して届いた1通のヒマラヤトレッキングの案内が始まりでした。 危険な岩登りや冬山はやらないにしても、若いときから山登りが好きで、国内の目ぼしい山はほとんど登っていましたし、あとは海外の山をと思っていました。しかし、70才の坂を越えてはもう海外の山には登れません。 せめてなんとか一目でも見たいものと、98年にヨーロッパアルプスに出かけ少しはトレッキングも楽しみました。あとは是非ヒマラヤへとかねがね思っていろいろ本や資料で知識を吸収していました。

毎日7キロの健康散歩を年中無休で続けるし、友人達とは月1回近畿の山登りをしていて、まあ大丈夫と思っていました。また、日本の山でもスイスでも高山病になったことも無いのですが、何分高いところへ行くのだから、同行の方に迷惑をかけてはと、この点だけが気がかりでした。

この時期では、ネパールの国花「シャクナゲ」の咲く道のトレッキングがいいかなとAコースを申し込むと参加者が無くてダメ。結果Bコースのジョムソム街道となって同行者は1人とのこと。殿様行列のように荷物も持たずにのんびりと、好きなビデオを撮りながら歩くかと考えで参加を決める。今回はBコース2名、Dコースのタンボチェが9名の合計11名での出発となった。

2001年4月15日(日)  
東京からの8人と関西からの3人が予定通りネパール航空で12時30分に関空を飛び立つ。 機内は50%位なので窓側に移りビデオを回す。途中上海で給油しカトマンドゥに30分遅れで到着する。時差は3時間15分だ。
まず、最初のドジ。入国手続きも無事に終えて外に出ると、コスモ社のプラカードを上げて出迎えが見える。と同時に押しかけた人々がスーツケースを奪うように持ちながら、迎えの車の方にみな歩き出す。ほんの50m位で着いたとたん「マネー、マネー」と口々に叫び手を出す。まだネパールのお金が無いので「ノーチェンジ・ノーマネー」とやると「1000円」という。
これはおかしいと皆に伝え、無視しようと決めて誰もお金を出さずに荷物を抱え込んだ。
しばらく叫んでいた連中もあきらめて去っていった。こちらは迎えの者だとばかりに思い込んでしまったのが間違いだったようで、単なるタカリ連中だ。荷物が無くならなかったことでよしとしよう。
ホテルでコスモ社との打合せがあり、ガイドのバルクマンさんが紹介される。日・英語が解る若い20代の好青年だ。D組は朝が早いようだか、我々は午後の出発となる。

2001年4月16日(月)  
午後、同行の元木さんとホテルを出て市内を歩く。喧騒と汚さでうんざり。王宮の見学も休みで入れず、ポーターへのチップなどに備えて小銭を多く用意する。
15時、カトマンドゥ空港から小型機でポカラに向かう。15時30分ポカラ着。着いた途端に激しい雨が降りだした。たくさんの日の丸の小旗が見えるが、我々の出迎えでもあるまいしと聞くと、日本からのボランティアを迎えて何かの会合があったらしい。この雨ですぐに終わりになったようだ。迎えの車ですぐ近くのチベット・リゾート・ホテルに入るが、まだ電気が来ない時間とかで暗い。ネパールは電力不足なのか、ここもカトマンドゥも時間給電制のようだ。
依然として雨が降っているので外にも出られない。夕食はホテルでチベット料理を食べる。羊肉を煮込んだ美味しいもので、米は少し小粒で粘り気がないが臭みも無くおいしい。ネパール南部でとれるとの話しだった。

2001年4月17日(火)  
ジョムソムへは谷間沿いで飛行機が飛ぶので、早朝の風の無いときしか飛べないらしい。5時30分ポカラ空港へ急ぐ。搭乗手続きを済ませ屋上に出ると昨日からの雨もすっかり上がって、ポカラの象徴といわれるマチャプチャレ(6,997m)の突端に陽がさしはじめている。
急いでビデオを回し写真を撮るがアンナプルナ・峰(8,091m)・峰(7,555m)も次第にピンク色に染まり始めている。ゆっくりとこの素晴らしい大展望を楽しみたいのだが、搭乗口に急ぐ。6時30分発、ジョムソム7時着。この30分のフライトは本当に素晴らしかった。山の名前は判らないにしても、次々と現れる白銀に輝く高峰にただ見とれて感激するだけだ。

ジョムソムに降り立ちまず眼前の朝日に輝く白銀のニルギリ(7,061m)の威容に圧倒される。カリガンダキ河の広い河原が空港だが、今さかんにアスファルト舗装工事中だった。ごく限られた時間のフライトなので、続々と着陸しすぐ飛び立ってゆく。

ジョムソム村は標高2,743mで、軍も駐屯しておりホテルもたくさんあって、荷物運びのロバや馬も多くにぎわっていた。迎えのポーターと待ち合わせのホテル、ムーンライトに入る。話を聞けば我々のためにすでに4日前にカトマンドゥを出発し、途中泊まりながらやって来たという。この辺りの村ででも頼んだ人かと思っていたので、これは驚いた。コックはディネシュさんでポーターが4人、全部で8人のパーティということか。早速お送り申し上げます。早速温かいミルクティをいただき、荷物を整理し、国立公園へのトレッキングの入域証を提示して9時20分歩き始める。
村を出るとすぐカリガンダキ河の広い河原で、石のゴロゴロする道なき道となる。このジョムソム街道というのは、昔チベットとインドとの間をカリガンダキ河に沿ってヒマラヤ山脈を越え、人や物が行き来した、重要な交易路だったとのこと。風も出始めるが追い風なので今日はいいが 帰りは大変だろうと思いながら黙々と歩く。1時間半で長さ100mの大きな吊橋にかかる。日 本の吊橋とは比べものにならない立派な橋だ。細かい横桟板、両側には落ちることのない太い金網が張り巡らされている。荷物を乗せた馬でも渡るのだからこんなに頑丈に作ったのだろう。下の河原からもたくさんのワイヤーが引いてあって、強風の通り道のこの場所でもゆれが少ない。
さすがジョムソム街道の橋だと感心する。

橋をすぎて30分余りでエクリバッティにつく。昔は1軒屋だったのでこの名が付いたというが、今はホテルが3軒も出来ていた。11時30分みんなでミルクティを飲みながらゆっくりと休憩する。12時30分、今日の泊地カグベニ(2,807m)に到着する。林の中のホテル、マウント・エベレストに入って庭にテントを張る。昼食後、ガイドさんと村の見学に出かける。村はずれに魔除けのようなものが立っていた。河沿いの道をさかのぼるのがジョムソム街道で、ムスタンからチベットに通じるのだという。今は外国人のこの先の立入りは禁止だということだった。

 


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