今日はこれからバスでトレッキングの出発地シャブル・ベンジに行く。
前日必要品を旅行鞄から柔らかい大きいバッグに詰め替え、他にトレッキング中に必要なものは小さなリュックにつめておく。トレッキング中はバッグをポ−タ−が、小さなリュックは自分で運ぶのだ。
ここでトレッキングのやり方を書いておく。まず現地ネパ−ル人のガイドがいる。この人は全体の指揮をとる。サ−ダ−ともいう。その下にガイド助手が数人いる。次にコックがいる。これはトレッキング中の食事作りを担当する。この部下として我々の身の回りの世話をするキッチン・ボ−イが数人いる。そのほかに荷物運びのポ−タ−が10人程度。彼らは我々の荷物の他、炊事道具、テント、シュラフ、食事時のテ−ブル、椅子などを背中にしょって山を登るのだ。一人あたり40-50キロはあるだろうか。
給料水準の低いネパ−ルでないとこういう大人数のトレッキング・チ−ムは無理ということである。サ−ダ−、キッチンボ−イは一応日本語を理解し話すことが出来る。円が強いからこういうことが可能なので、やや複雑な思い。
さてバスに乗り込み朝7時半に今日の目的地シャブルに出発する。一時間もカトマンズの市街地を走るとやがて山岳地帯に入る。
幾つも幾つもの山を越えるのだ。道路の一部は舗装されているが、大部分は砂利道だ。バスがゆれるので写
真どころではない。山の斜面にジグザクに切り込んだ砂利道を結構なスピ−ドで走るのだ。日光のいろは坂などとは比べ物にならない恐ろしさだ。ガ−ド・レ−ルなどはもちろんないのでスリップしたり、運転手がハンドル操作を誤れば谷底にまっしぐらと言うわけである。
対向車が来ると、運転手の助手が口笛でバスの谷側が安全かどうか知らせながらすれ違うのだ。日本では呼子を使うが、ここでは指笛だ。口に指を入れて鳴らすあれだ。でも人間とは不思議なもの。私も含めて皆さん誰も心配などしていない。中にはグウグウ寝ている人もいる。こんなことを心配するような人はもともとトレッキングなどには来ないだろうということだ。
山の斜面
は殆ど段々畑に耕されている。これを作ったり、維持していくのは大変な苦労だろう。灌漑はどうするのだろうと心配してしまう。
こんな山奥でも学校があり、ちゃんと制服を着た小学生が下校してくる。学校に通
うだけでも何時間もかかるんだろうななどと余計な心配をしてしまう。
子供達も靴を履いているもの、いないもの こういう貧しい社会にも貧富の差はあるようだ。
ちょっとした部落やチェック・ポイントで小休止しながらドライブが続く。チエック・ポイントでは何をチエックしているのか分からないが、太い竹の棒で道が遮断してあり、チェックが終わると竹の棒が上に上がりオ−ケ−となる。
11時半頃カリカスタンという町に到着。ここで昼食となる。昼食はホテルの用意してくれたもので、おにぎり2個、サンドイッチ、ゆで卵、みかんなど。レストラン兼ホテルの店のテラスを借りて皆で食べる。
さてここで今回のトレッキングの恐怖の一つトイレだ。レストランの奥にあるというので行ってみる。これはいわゆるトルコ式と言う奴だ。小さい平べったい瀬戸物の先に穴があいているあれだ。ポルトガルの駅のトイレで同じものを見たことがある。ただしサイズはこちらのほうがずっと小さい。大のときは日本式と同じくしゃがんで用を足すのだ。傍に水の入ったバケツと手桶があり、終わったら手桶で水を流す。確かに水洗式には違いない。しかし全体的には結構不潔だ。紙を使ったら流してはいけない。傍に置いてある箱に捨てるのだ。ネパ−ルでは紙は不浄なのだそうだ。また、トイレの隣りは食器洗いの部屋になっている所が多いようだ。要するに文明国での衛生概念というものは全く浸透していないということだ。
かえって汚いですね といったら いやどこもあんなものですよ と中島夫人。ダァとなる。実をいうと、ここのトイレも後で述べるやつに較べるとずっと文明的だということか゛段々分かってくるのだ。
一時半に再び出発。午前と同じようなドライブだが、山は段々急峻になってくる。下のほうに前を走るバスが見える。なんとバスの屋根の上に人が何人も乗っている。白人の女もいるようだ。こんな急な山の斜面
で屋根に乗ったらどんなにか怖いだろうなどといらぬ心配をしてしまう。
やがてまたチェック・ポイントだ。ここのは本式で兵隊がいる。近くの丘には衛兵が銃を持って警戒している。カメラを向けたら手を横に振ったのであわてて止める。どうも目をつけられていたらしい。撃たれちゃたまらない。何しろ連中マニュアル通
りやるかもしれないからなあ。ここは勇猛で知られるグルカ兵の故郷なのだから。
このようなドライブが続きとうとう目的地のシャブルに16時半に到着。休憩も入れると9時間のドライブ。疲れた。
大きな河が流れている。これがランタン河。激流で激しい水流が岩にぶつかる音がドウドウと響いている。ここの河川敷に今夜我々が泊まるテントがすでに設営してある。ここで今回のトレッキングのサ−ダ−のパサン氏に紹介される。30代か。ジェ−ムス・スチュワ−トに似た風貌。山男らしい厳しさがその表情にはある。7,000-8,000m級の登山のガイドを務めてシェルパ仲間では有名人であるらしい。
テントには3種類ある。まず青色のは我々が寝るテント。二人一組だ。
小さい黄色のはトイレ用。テントの中に20x50センチくらいの穴が掘ってあってここに大小をする。他に大きな緑色のテントがあり、ここで10人程度が食事をする。中には折りたたみ式の大きな机が食卓としておいてあり、スト−ルが椅子として10脚置いてある。立派な集会所だ。
キッチン・ボ−イのクマ−ル君がまずス−プを運んでくる。クマ−ル君はいつも笑顔を絶やさない人好きのする青年だ。直接我々の世話をしてくれるのは彼だ。
ス−プは日本のインスタント・ラ−メン。その後野菜中心の料理が何点か出される。
味はまあまあという所。日本料理の味を知らないネパ−ル人に日本料理を教え込んで作らせた味だから文句も言えまい。良くやっているといって良いだろう。中島氏達は相当量
のアルコ−ル類を日本から持ちこんでいて、9時頃まで料理を突っつきながらの酒宴が続いた。
パサン氏と明日の打ち合せ。6時起床。朝食後 7時半に明日の目的地 ラマ・ホテル(地名)に出発ということだった。地図で調べると標高差1,000mはあるので、大変かと尋ねると、いやたいしたことないよ。とパサン氏。安心した。この返事が実は曲者。トレッキングのリ−ダ−達は事前にはコ−スがきついとか大変だとかは決して言わないものだと言うことが段々分かってくる。
食事中近所の子供達が様子を覗きにやってくる。目の前にお菓子が山盛り置いてあるし、あげようかどうしようかと迷っているうちに、中島氏がビスケットを2、3個上げた。ポケットに入れていってしまった。それほどギブ・ミ−・チョコレ−ト化が進んでいるようでもないらしい。それにしてもカトマンズからここシャブルまでに見たコカ・コ−ラの広告の多さよ。コカコラニゼ−ションは確実にネパ−ルでも進行中だ。中にはその広告板を集めて、小屋を作っているやつさえもいる。アメリカ資本もたくましいなあと感心してしまった。但しコ−ラは中国製のようだった。
9時にテントに行き就寝。シュラ−フの寝心地は思ったほど悪くない。ただ枕を用意してなかったのは失敗だった。次の日からは、下着類を風呂敷にくるんだものを枕代わりにした。これで朝まで眠れると良かったのだが、夜中の二時ごろ目がさめてしまった。懐中電灯を頼りに外にでると満天の星だ。しかし昔秩父の山奥で見たほど鮮やかではないが、これは記憶のイメ−ジが強すぎるからかもしれない。あまり星が多いので星座を見分けることが困難だ。かろうじて北斗七星だけが見分けられた。河にむかって立ちションしたあとテントに戻るか゛なかなか寝つけない。始めてのネパ−ル、始めてのテント泊、始めてのシュラ−フなど刺激が強くて頭が冴えてしまったのだ。5時間あまり眠ったのだからまあいいか と考え 俳句やら短歌を作りながら時をすごした。
トレッキングの終わりに俳句の披露会をやるからねと中島家の次女のプ−ちゃんから宣言されてしまったのでその準備もある。短歌など始めてだが作ってみればいくらでも出来る。もちろん玄人から見れば 状況の説明ですよね と批評されるようなやつばかりだが。おまけに字余りばかり。
ネオンなき街に輝くこの光 ネパ−ル女性の衣装鮮やか。
朝早く群れで戲むる犬四、五頭 異国の朝のうらやましきかな。
日本語で明日の予定を話すガイド 円の力のすさまじきかな。
ヒマラヤの天まで届く段々畑 ネパ−ル人の労苦偲ばる。
ヒマラヤの頭上に輝くひしゃく星 その明るさもひときわ鮮やか。
輝ける山歴の中の事故一つ ク−ルに語る山男かな。
テントぎわに異国の子等の並びたる ためらいつつも菓子を与える。
ネパ−ルでは犬は放し飼いなのだ。四、五頭でじゃれあって実に楽しそうに遊んでいるのが昨日のホテルの窓から見えたので二番目のが出来たのだ。散歩屋さんに預けてきた家の飼い犬のクウのこともちょっと思い出したりしながら。
榊原氏は46歳。中島氏の高校山岳部の後輩。プ−ちゃんとの掛け合いで座はいつも賑やかだ。プロの登山家だ。世界中の高山を自分自身のためあるいはガイドとして登っている。ヨ−ロッパでの登攀中ザイルが外れて宙ぶらりんになった時の経験を話してくれた。落ちた瞬間気を失ったそうだ。自己防衛の本能かもしれませんね。と語っていた。この次はペル−の山を狙うとのこと。
ところでエベレストの登攀料いくらだと思いますか。5人以下のパ−ティでなんと500万円だそうです。ネパ−ル政府もがめついね。このため見知らぬ
同志でパ−ティを組むこともあるそうです。
|