4-5月の連休を利用して恒例のネパ−ル・ヒマラヤでのトレッキングを行った。参加者は昨年同様3家族の親子とインターナショナルエクスプレスのトレッキングアドバイザー、登山家の榊原義夫氏の総勢九人である。昨年はムクチナ−トからベニへ、一昨年はランタンというわけで今年は東部のクーンプ領域に行くこととなった。この領域はエベレスト街道ともいわれ人気の高いコ−スで旅行手記も結構発表されている。これらを読むと、ルクラに飛行機で入り、ナムチェ・バザ−ル、タンボチェ、パンボチェ、ペリチェを通 り、ゴラク・シェプに着き、そこからカラパタ−ルに登って景色を楽しむのが標準のコ−スらしい。しかしカラパタ−ルの5,500mは体力的にも我々にはとても無理であろうと思われた。
それに日数もかかりすぎる。というわけで、今回は最終目的地をタンボチェ僧院にし、余裕があればその先のパンボチェまで足を延ばすこととした。タンボチェからは遠くではあるがエベレストが見えるはずだし、付近のアマ・ダブラム、タムセルクなどは間近に見えるはずである 。


4月28日 東京=関空=上海=カトマンズ
7時半の全日空便で羽田から関西空港へ。12時半のカトマンズ行きには間があるので関空の中をブラブラする。ロイヤル・ネパ−ル航空でカトマンズへ出発。途中上海に一時間程度補給のためにとまり定刻にカトマンズにつく。正味9時間程度のフライト。
それからが大変だった。ビザを現地申請するというので書類は用意したのだが長蛇の列。日本人ばかりだ。書類をつくっているようだがこれが手書きというわけで約2時間近くもかかってしまった。おかげで出迎えの榊原氏やサ−ダ−のデビ氏をやたらに長く待たせてしまった。やはり東京で取っておくべきだった。特にけしからんのは旅行社の手配したグル−プで、彼らのような大人数の場合はあらかじめ東京の大使館でビザを取っておくべきだと思った。
しかしカトマンズのトリブバン空港はずいぶんきれいになった。天井も高くなったし照明も明るい。おまけに扇風機まで天井に設置してある。そのことを話していたらそばの日本人に清水建設が作ったのですよと教えられた。日本企業もがんばっております。
外は厳戒態勢だ。迷彩服を着た兵隊が銃を下に構えていつでも撃てる体勢。土嚢を積んだ銃座の中にも兵隊が。マオイストが方々で暴れているらしいし、カトマンズのダウンタウンでも爆弾騒ぎがあったそうだ。しかし町の人々はいつものようにのんびりとしている感じ。心なしか市街は去年に比べて奇麗になっている。ネパ−ルもすこしづつ進歩しているのだ。定宿のサンセット・ビュ−・ホテルで夕食。これから当分入れないと思いバスに入って就寝。外は雷雨。盛大な傘のような稲妻を見る。

4月29日 カトマンズ=ルクラ=カトマンズ
今朝は朝五時起き。ホテルで用意してくれた弁当を持って空港へ。国内線のビルは昨日ついた国際線とは違うビルだ。こちらは去年のまま。兵隊の検問が何回かある。ネパ−ルでは何時何分に飛行機が出ますということはありませんとサーダ−のデビ氏。日本語は結構上手だ。というわけで弁当を食べながら飛行機の出るのを待つ。予定では7時半の筈だったが八時半ごろようやく搭乗開始。20人乗り位 の双発のプロペラ機だ。乗員はパイロット二人とスチュワ-デス一人。操縦席と客席の間のドアは開けっ放しなので計器やパイロットの動作は丸見えだ。滑走路をちょっと走ったらもう空中へ。カトマンズ市街が見えなくなり山の中の渓谷に沿って飛ぶ。霧が立ち込め視界はよくない。ニアミスが心配だ。40分も飛んだろうか。左の窓には白い巨大な山塊が上のほうに見えた。気流もよくなく飛行機はときどきガタガタと揺れる。操縦席の窓から青黒い短い滑走路が見えた。これが改装して新しく舗装された滑走路のルクラ空港かと思った瞬間飛行機は反転して逆方向へ。なんだか分からないうちに砂利道の滑走路の飛行場へ着陸した。気流が悪くてルクラ空港には着陸できない、暫くここで様子を見るとのこと。デビ氏ここがどこか地図でしらべているがよく分からない。多分パプル/Phapluというところだったらしい。山には強い榊原氏も今の飛行機のガタガタですっかり酔ってしまったらしい。青い顔をしてゲ−ッなどといっている。どういうわけか土地の人がスチュワ−デスにだけお茶を持ってくる。

オイオイお客はこっちだよ といいたいところだが。そのうちお茶がこちらにも出て一時間も待っただろうか。今日、ルクラ空港は閉鎖です。カトマンズに引き返しますとパイロット。やれやれ残念でした。でも無理に着陸して事故るよりはましか。というわけで今日のルクラ行きは中止。山の天気は変わりやすいし、無理をすると危ない。一同納得してカトマンズへ帰る。私はホテルで静養。

4月30日 カトマンズ=ルクラ2,840m=パグディン2,610m
昨日とまったく同じ手順で空港へ。身体検査やなにか厳戒態勢だ。おかしいのはライタ−で持っているかと聞かれイエスといえば取り上げられる。しかし靴の中など適当に隠しておけばそれ以上は追求されない。第一待合室には大きな灰皿がおいてあり、みんな煙草を吸っている。

今日のルクラ空港はオ−ケ−ですとサ−ダ−のデビ氏。しかし肝心のカトマンズ空港に霧が立ち込めて離陸許可がでない。皆さんイライラと空を見上げる。時々霧が薄くなり太陽が透けて見えることもあるがまたすぐ隠れてしまう。一時間も待っただろうか。ようやく薄日がさして離陸許可がでた。空港の係員が窓の外をチラリと見に来たのだが彼がオ−ケ−をだしたのかしら。十機くらいの双発機がエンジンを回し始め、我々のスカイライン社の飛行機は三番目に離陸した。パイロットとスチュワ−デスは昨日と同じ。約四十分ほどの飛行の後無事ルクラ空港に着陸した。しかしこの空港は聞きしに勝るすごいところだ。比較的なだらかな山陵を削って作ったらしく、滑走路は傾斜している。いわば滑り台のようになっていて着陸は下のほうから行うのだ。斜面の上り坂とブレ−キを併用して飛行機に制動をかける。おまけに五百メ−トルもない滑走路の端は山を削った崖になっている。オ−バ−ランすれば崖に激突ということだ。しかしパイロットは手馴れたもので滑走路の半分位で飛行機に制動をかけあとは三輪車を操るように巧みに駐機場に飛行機を止めた。ここは四機の飛行機が同時に止められるようになっている。一日に結構な数の離着陸があると思われるが事故の話はあまり聞かないので、かなり安全らしい。エベレストに登ったヒラリ−さんの妻子がこのあたりで飛行機事故でなくなった頃に比べればずいぶん安全になつたと思われる。

空港からは白い高い山が見える。デビさんによればゴングラという山らしい。地図で見ると5,813m。この辺の標準ではけっして高いほうではないがのしかかるようにそびえている。バッティの部屋を借りて昼食をとり、十二時に出発。最初はかなりの下りだ。木の茂った山間に作られた道を調子よく下る。帰りはここが登りになる。果たして無事に戻ってこられるかしら。戻ってきたとしてもこの坂を登れるだけの体力が残っているかしら などと思いながら歩く。やがて左方下に河が見えドウドウと水の流れる音が聞こえる。ドゥ−ドコシ(Dudh Koshi)だ。まわりは殆ど畑になっており所々に民家が見える。畑にはじゃがいも、麦、りんごの木も見える。AppleProject という日本の協力事業も見えた。

このあたりでは荷物を運ぶのにゾッキョという動物を使う。牛とヤクの間の子供で小型だが鋭い角がある。ヤクは気が荒いが、ゾッキョはおとなしいらしい。それでもすれ違うときは山側に避難するようにとデビさん。この人は実にこまやかに我々の面倒を見てくれる。コスモ専属のサ−ダ−の中でも人気者とのこと。とにかく腰が低い。我々と話すときはお辞儀をするような姿勢だ。サーダ−だからもうすこし権威があってもいいのじゃない、温泉旅館の番頭さんみたい、と私がいったら、榊原氏早速もみ手をしながら真似して見せた。でもデビさん姿勢の割にはいうことは厳しい。私が登りでハアハア息をきらしていると「ハナダサーン煙草一日に何本すいますかー。山では減らしてくださーい」。これ以来日出子はデビさんに見つからないように隠れて煙草を吸うようになった。河床を歩いたりして三時間程で割と楽に今日の宿泊地パグディンに到着。今日は200mほど下ったわけだから楽なはずだ。でもその分明日は登らないといけない。明日が思いやられるなあ。

 


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