(メンバー) 飯田和靖(70才)、石渡孝司(66才)東條孝和(70才)
(サーダー) ディアン・バハドール・ライ(通称DB)
(サブガイド)ハスタ・ライ、プレム・ビスタ
(ポーター頭)アランジット・ライ
(コック)  ハリー・ザムラーガリ
(キッチンスタッフ) モニー・ライ、ラクマン・ライ、コリアン・タマン
(ポーター) 7名

山頂をスパッと切り取ってただ整地したようなタプレジュン飛行場に舞い降りるとタメール川の深い谷をへだててぐるりと3,000〜4,000メートルの山々が出迎えてくれた。いよいよジャヌーやカンチェンジュンガに会えると思うと全身に力が入る。
二つの山に対する熱い思いが何時頃から始まったのか、よくは覚えていない。
古くはダージリンからのカンチェンジュンガの写真、近くは大石一馬◎◎さんの遺作写真集、小西政継さんの登山記などによって、憧れに似た思いが形成されたように思う。

齢65、体力的にも大きな長いトレッキングは最後になるだろう。それならどうしてもカンチェンジュンガとジャヌーが見たい。そばまで行ってこの目に、心に焼き付けたい。そう思ってあちこちのツアーを探したが無い。やっとあってもダージリンから入るもののみ。それではジャヌーもカンチェンジュンガの主峰も見えない。一年が過ぎようとして諦め始めたころ「山・渓」にカンチェンジュンガの写真が出た。やけぼっくいに火がついてパラパラとページをめくっているとパンペマの小さい活字があるではないか。信じられない思いでみつめていると、活字の後ろに二つの山か浮かびあがってきた。すぐに電話、今年になって参加者が少ないが催行するとの中野氏から返事を貰ったときは本当に嬉しかった。

そして今、タプレジュン飛行場に立っている。カトマンドゥから同行しているサーダーが出迎えてくれたスタッフを紹介する。みんな真っ直ぐないい顔をしている。人との出会いもOKだ。ところで、今回のトレッキングを全部書いていくと一冊の本になってしまうので、特に印象の深いことを幾つか記してみたい。

まずは山のこと(当たり前だけど)  
以前に行ったカラパタールやゴーキョに比べてみると行程で里山(高い)が長い(私にはこれもよかったが)、グンサから上は高山が真近に迫ってくる感じが強い。例えば、カンバチェン近くの山腹で突然ジャヌーがあの絶壁をおしげも無く現してくる。全員「わっ」と声をあげてしまう。
それ程近くて、突した。といって眺望がないということではなく、6,000メートルから7,000メートルの山々が次々と現れ、姿を変えてゆく。そしてやはりカンチェンジュンガは圧倒的に高く、デカイ。なおかつ近くて遠いパンペマから見ても、ウエッジピークを前座にしてカンバチェン、ヤルンカンをおさえて、奥高くにまるで天空に飛び立つように聳えていた。
カラパタールからのエベレストは近くて高く、でもトレッカーはそこまでよ、といっている感じで聳えているが、カンチェンジュンガはもっと近くまで来なさいと、手招きしているように見えた。私はカンチェンジュンガ氷河に飛び降りて、もっと上まで登っていきたい衝動にかられた。
一瞬だが、生れて始めて8,000メートルの山に取り付きたいと思った。小西氏のジャヌーや、この山への無酸素登頂の気持ちが別の意味で解かったように思う。

いずれにしろカンチェンジュンガもジャヌーも「よかった」の一言、大満足だ。しんどかったけれど、来てよかった。

山の夜の美しさ(これもどうしても書いておきたい)  
最初に見たのはカンバチェンだった。夕方から降雪、夜中にトイレのためにテントを出ると、まるで昼のように明るくまわりの山々が光り輝いているのに仰天。あのジャヌーが金色、他の山々が銀色に輝き、まるで屏風のように私を取り巻いていた。なんという光景なのか、トイレも忘れ、寒さで歯がガチガチ鳴るのも平気で立ちつくしていた。それがロナークの夜(2泊)も続いたのだ。夜空の星の美しさは経験していたが、こんな月光と高山のハーモニーは始めだ。そういえば河口慧海の「チベット旅行記」のヒマラヤ越えの所で同じような光景が描写されていたように思う。それじゃ、高山だけなのか。とんでもない、飛行場からグンサまでの3,000〜4,000メートル級の山々も大いに良かったのだ。
グンサコーラから頂上まで段々畑というのはこれも又すごい景色だ。自然破壊とかいう前にここまでしなければ生きていけない人々の生活が張付けられており、それを呑み込んで人間の営みを許している大自然の懐の深さに感謝する。水田などが出てくると、少し前の日本の景色に出会ったようで心が癒される思いだった。アップダゥンが多いといっても、それは人々の生きている道、それも又よしだ。

人々のこと  
グンサまでに私は多くの子供達に出会った。貧しくともみんな活き活きした表情をしていたし、全然すれている感じがしなかった。プルムブでは小学校の校庭の隅にテントを張ったので、多くの児童達と接することが出来た。土間の教室で一生懸命学習する子供達、庭で暗誦ちとする児童達、山道で恥ずかしそうに鉛筆をねだる子供達に出会って、ただ呑気にトレックしていいのかと考えさせられた。タプレジュンで紹介されたスタッフはやはりみんないい人々だった。明るくて率直、気配りのよさも含めて毎日が快適そのものだった。特に、食事がよかった。前のトレックの時も日本食を用意してくれたが、無理もないけれどやはり日本的なものの域を出ていなかった。しかし、今回のシェフ(料理長)の腕には恐れ入った。まったくの日本食なのだ。もどきでは全然なくて和食そのもの。それぐらいの腕だから、つくるものすべてが本物だ。洋食も含めて毎食、最高の食事を用意してくれた。途中から次の食事が楽しみで歩いたようなものだった。腹一杯食べて、日々元気を保ち、長大なトレックの全行程を踏破出来たのもシェフのお陰だ。

そしてサーダー。彼のやさしさと誠実さには頭が下がった。こちらの望んでいること、その反対のことをスパッと見抜き、さり゛なく応じてくれた。日本の社会でもこういう人はなかなかいない。サーダーがこうだから、スタッフもおのずと揃うのか、いいクルーだった。コスモトレックの女社長もよく世話してくれて感謝。

中野氏にもお礼がいいたい。一つはどこもやっていないこのコースを催行してくれたこと。次にコスモのスタッフをつけてくれた事。第三に帰宅してから知ったのだが、トレッキング中、留守宅に現地の我々の動向を何回も連絡してくれていた。ネパールが政情不安の真っ只中だったので家庭ではとても助かった。中野氏の心遣いに感謝する。

書きたいことはもっとあるが、長くなるのでここで筆を置く。
今度のトレックのお陰で自信がつき、最後のトレックをもう少し延ばそうと思った。その時はまた中野氏を通してあのスタッフと行きたいと思っている。(石渡氏記)

 


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