ネパールとは

ヒマラヤトレッキングは、ネパールの人達が生活する
山岳村落を結ぶ道をたどる。
そこにはネパールの人達の普段生活がある。日本の昔の生活を思い起こされるネパールは「山の国」。ネパールを楽しく歩いて、感動の思い出を持ち帰るにも少しネパールの勉強をしましょう。

1。ネパールデータ
・国旗の上部、月は平和を、下部の太陽は光を、赤色は国の色、青は海と空を表している
 世界で四角でない国旗はネパールのみ
・正式国名は「ネパール連邦民主共和国」(Federal Democratic Republic of Nepal)
・政体は「連邦民主共和国」で2008年王政は廃止された
・首都は「カトマンズ」
・面積は「14万7,000平方km」
・人口は「2,662万人」 2011年推定
・国民一人あたりのGNIは1,210ドル、世界で146番目(2010年WHO)
・宗教は「ヒンズー教」が国教だが穏やかに仏教とのバランスがとれている
・日本ね時間15分遅れ」
・電気は「220V、50Hz」プラグはBタイプとCタイプの2種類
・通貨はルピー(特定する場合は、ネパール・ルピーという)
        2014年6月現在 Rs1≒1.05円

2。ネパールの位置

ネパールの国土面積は
北海道の約二倍、東西に約850km、南北に200km弱の小さな山の国。世界191カ国中ほぼ真中の93位 。オーストラリアやマレーシアよりも多い、結構大きな国なのだ。人口密度は181人/平方kmで中国を上回る。居住適地の少ないネパールは大きな人口をかかえている。
南北の狭いところでは100km程で、灼熱の「
南のタライ」(南のインド国境沿いに東西に続く低山、中間部)、8,000mの「北のヒマラヤ」(山間部)と南から北
に向かって標高80mから8,848mのエベレストまで、三段階の階段状の地形。人口の割に耕作可能な土地は非常に限られている。
       d。ヒマラヤの形成過程
1,000万年から2,500万年前の大昔は、インドの大部分を占める三角形の半島はアフリカと一塊まりの大陸だったが、長い間掛かってアジア方向へ移動し、ユーラシアプレートの下に潜り込み、アジア南西部にチベット高原部をつくった。
そして長い時間をへて地表が盛り上がり、しわが寄ってヒマラヤ山脈が形成された。
その証の一つとして、アンナプルナの北側のカリ・ガンダキでは、河原で
アンモナイト化石が容易に見つかるし、エベレストには有名なイエローバンドが走っている。

3。多民族、多言語、多宗教
民族の種類は30近い。グルン、ライ、タカリー、シェルパなど、名前にはきき覚えがあると思う。
ネパールは多民族、多言語、多宗教の国。言葉の種類は70近くになる。ネパール語の勢力は強く政府の手続き、教育、放送はネパール語で行われ、異言語間で意思の疎通が出来ない場合も共通語として
ネパール語が用いられることが多い。


ネパールの民族で有名なのは、カトマンズ盆地に都市文化を築いてきた「
ネワール族」でネワール語(チベット・ビルマ語族の言語)を話します。ネワールとは、昔カトマンズ盆地のみをさした呼称「ネパール」に由来するとされている。
カトマンズ、ポカラは勿論、トレッキングの道すがら宗教的なものに触れる機会がたくさんある。村々や峠には
ルンタ(洗濯物のようにはためくチベット仏教の祈りの旗)、タルチョー(ポールに縦長にはためくチベット仏教の祈りの旗)はためき、チョルテン(仏塔)が立ち並ぶ。
村の出入り口には
マニ車が設けられ通りすがりに、右手でまわしていく(右肩が高貴な側とされている)。カトマンズでもポカラでの見所は寺院だ。国教はヒンズー教で90%の国民が信仰している。仏教もさかんだ。

4。シェルパ
シェルパとは、もともと東北部サガルマータ州ソル・クンブ郡一帯の高地に住むチベット系の
民族の名称だ。この名称が世界中に有名になったのは、1920年代初頭のイギリスによるエベレスト登山に高所荷揚げポーターとして雇用されたのが始まりだ。1950年代8,000m峰登頂における彼等の活躍により、その名が一躍世界に知られることになった。現在は、高所ポーターよりむしろ観光産業において、ロッジ、食堂、土産物屋、旅行代理店などの経営者として、観光客と様々な関わり合いをもって生活している人達の方が多い。

5。農業国、そして貧しい国ネパール
人口の大半は農業に従事しており、食料はほぼ
自給している。しかし、経済的には外国援助、観光収入が主な外貨収入で世界でも貧しい国の一つである。
ネパールのイメージは、神秘と同情のベールにつつまれている。ヒマラヤをもつ山国、結核の蔓延している国、工業のほとんどない農業国という固定観念が強い。国民の8割が
農業に従事している。製造業やサービス業に従事している割合は近年増えてきたが、依然少数だ。

6.ネパール人と踊り
ネパールの多くの民族・集団には日本同様、独自の踊り(フォークダンスのような踊り)がある。
トレッキングの途中でポーター達の陽気な踊りに引き込まれることがあるだろう。
またネパール人は総じて音楽好きだ。ポーター達も陽気に歌ってくれるだろう。お返しに陽気な歌のレパートリー(踊りが入ればなお可)を用意しておけば、トレッキングもより楽しくなる。
ネパールダンスと食事を組み合わせたレストランが人気だ。サーランギ(またはサーリンダ。木彫りの弓奏楽器)を弾き、笛と太鼓の伴奏で歌う。ダンスもインドやタイのダンスに似て興味深い。書店で買い求めるネパール音楽のCDもお土産にいい。

7。ネパールの世界遺産
驚くことにネパールには
世界文化遺産が9つ、自然遺産が2つもある。そして、ルンビニ以外の8つの世界文化遺産が、カトマンドゥ盆地一箇所にまとまっているというのは、世界に例を見ない。その歴史や文化に触れることもトレッキング同様興味ある旅の想として加わるだろう。

*世界文化遺産
 1)Lunbini/ルンビニ(カトマンドゥの南西約200kmにある町、お釈迦様の生誕地)
 2)Pashupatinath/パシュパティナート寺院(ヒンドゥ教の聖地)
 3)Hanuman Dhoka/ハヌマンドカ(カトマンドゥの旧王宮)
 4)Patan Durbar Square/ダルバール広場(パタンの王宮前広場)
 5)Bhaktapur Durbar Square/ダルバール広場(バクタプルの王宮前広場)
 6)Swyambhunath/スワヤンブナート寺院(通称、目玉寺)
 7)Boudhanath/ボダナート寺院(チベット仏教の大仏塔)
 8)Changnarayan/チャングナラヤン寺院(バクタプルとナガルコットの間にある寺院)
 9)Panauti/パナウティ(バクタプルの南東にある古い村)

*世界自然遺産
 1)Sagarmatha National Park/サガルマータ国立公園(ヒマラヤの核心部クーンブ山群一帯)
 1)Royal Chiwan National Park/ロイヤルチトワン国立公園(カトマンドゥ南西インド国境に接する自然公園)

8。ライフライン事情
水道・電気・電話は
ライフラインの中枢を占めるが、ネパールでは十分に機能していない。
大きな都市を除き、大半の山間部の村落には、水道、電気、電話が無いが近年携帯電話の普及が急だ。相当の山奥でもトレッキングの人気エリアなら、通じる場合がある。山中の村々の電気も年々普及してきて、停電の多いカトマンズよりましな事もあり皮肉だ。
カトマンズでは
停電や断水は頻繁に起きる。カトマンズは1年を通して深刻な水不足が続いている。最近は2日に1回、1~2時間給水されわような事も頻繁で、家々では禁止されている小型モーターで給水しタンクに貯めようと努力する。強制的に吸い込むと汚れた地下水がパイプの破損個所を通じて逆流し不衛生極まりないが仕方がない。ホテルやレストランは屋上に大きなタンクを備えて断水に備え、自家発電装置を設けて停電に備えている。水は濾過と煮沸が欠かせないが、標高1300mのカトマンズでは沸点が100℃に達せず、15分以上も沸騰させないと安心できない。
日本のように、直接飲める水が24時間いつでも給水されなど、ネパールでは夢のまた夢だ。水がなくなったら一般の人はヒティという公共の水汲み場から運ぶか、水道公社の給水車が来るのを待つことになる。お金持ちは水道局からタンク車の水を購入することが出来るが、一般人には高嶺の花だ。

山奥にも人が住み、家畜を飼っている。だから山奥でも
川の水は飲めない。多くのトレッキング・ルートではミネラル・ウオーターが容易に購入できるので、トレッカーはもっぱらこれを利用する。購入できない場合は、湯冷ましをスタッフに提供して貰うのが安全だ。都市でも同様で、大きなホテルなどで部屋に用意されている濾過した水程度の水は飲まないほうが良い。

9。ネパールの食事
食事は床の上に座って手で食べるいわゆる手食だ。現在はチャムチャー(スプーン)を使う人も増えている。男女ともあぐらをかくが立て膝をすることもある。お皿に盛られたご馳走は、ダル(豆のスープ)、バート(白飯)、タルカリ(おかず)、アチャール(漬物)。手でタルカリ類を飯の方に引き寄せる。ダルもご飯にかける。そして指で混ぜ合わせて一口大にして口へ運ぶ。指先をなるべく汚さないのが上品。滞在中、一度は食べてみたいもの。
 注意が必要なのは、食べ物に対する不浄の習慣だ。日本では気のおけない仲間では「じか箸でいいよ」と気安くいうが、ネパールでは物を食べた手や箸を大皿や鍋に入れると、中身はけがれて誰も食べられなくなってしまう。その為、給仕役がいる。テント泊のトレッキングでの食事ではキッチンボーイにまかせる。満腹になったら、すぐ「プギョ(十分)」というと伝わる。スタッフは「アリカティ、アリーカティ(すこし、ほんの少ーし)」とすすめてくるので、もう少し食べたい時はプギョプギョといい、本当に十分ならばプギョと言って手で皿を覆うといい。
はラクシュミ女神の化身で神聖な動物なので牛肉は食べない(と言うことになっている)。チベット系の人には関係ないがそれでもあまり食べない。ヤギ、羊、豚、ニワトリがよく食される。水牛は食べる。場所によって川魚も食べる。
蕎麦の原産地は中央アジア。ネパールでもそば粉は出来る。カトマンズには日本で修行したネパール人が経営する日本蕎麦屋がある。これが山から下りてきた日本人トレッカーには、涙が出るくらい美味しい。そして嬉しい。市販のガイドブックにものっている。お試しあれ。
ネパール料理の定義は難しい。インドやチベットの影響を受けて独立性に乏しい。味付けもシンプルで塩、チリ、にんにく、生姜、ダニャ(コリアンダー)で炒めるか煮るかしたものがほとんど。
チベット料理は、ボジャスマ(バター茶)、チュラ(乾燥チーズ)、ツァンバ(チベット風オートミール)、トゥクパ(チベット風うどん)、ジャガイモのロティ(薄焼きパン)、ディロ(そばがきなど)がある。チベット茶(バター茶)は塊まりのお茶をほぐして鍋で煮る。色が濃くでたら濾してドンモという竹筒にいれバターとミルク、少々の塩を加えて木製の棒をピストンの様に上下して攪拌して出来あがり。栄養たっぷりな飲み物だ。
ネワール料理は、手の込んだものが多い。中に肉を詰めた餃子風のモモをスパイシーなトマトソースをつけて食べるのが代表的なもの。小麦とスパイスを溶いたものをヤギや水牛のすい臓に詰め茹でるか蒸して固めたソンシャーグは酒の肴にいい。
このところネパールでは、インスタントラーメンが滅法はやっている。
注目のチベット料理は「
ギャコックGyakok」。ホウコウ鍋に肉や野菜をギューギューに詰め込んで炭火で煮ながらチリソースをつけて食べる。食べても食べても中から肉や野菜が出てくる(?)、フーフーというよりヒーヒーといって食べることになる。カトマンドゥやポカラには韓国、イタリア、中国など世界各国のレストランがある。

10。ネパール人の服装
ネパール人の女性は
サリー風の巻衣や縞の模様の前掛けをしたチベッタン風ドレスで「ナマステ」と迎えてくれる。カトマンズ空港に着いてまず印象的なのは独特のトピーという帽子。ズボンもシャツも西洋風でなくネパール風だ。街中では普通のシャツに背広、ズボン姿の男性、ジーンズの若者も多い。しかし、クルタ(ルーズなシャツで胸元まではだけている)とドティ(腰巻き、女性と異なりほとんど白色、一周巻き、前方から後方へと股をくぐらせ腰のところに引きつける)の正装もみかける。
女性は、色鮮やかなサリー、
パンジャビードレス(色鮮やかでクルタよりもルーズで膝までくるシャツ、スルワルと肩に軽くかけるショール)もある。



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