故郷の山

広島県  道後山   1269m
 どうごやま


2000年4月22日

広島県の東北端

小奴可駅−月見ガ丘〜岩樋山〜道後山〜持丸−小奴可駅

道後山は、3年前に亡くなった母の故郷の広島県の持丸という村の裏山です。私も、高校三年まで毎年夏休みに持丸へ行っているので、私にとっても故郷の山のようなものです。今日は20年程前に亡くなった祖父母の墓参りと親戚への挨拶を兼ねて広島県の道後山へやって来ました。道後山へは子供のころ祖父に連れられて持丸から一度か二度登っただけです。東京ではなかなか地図が手に入らず、20年以上前の古い地図しかなく、持丸へ下る道も残っているのか若干不安です。


予定通り9時過ぎに芸備線の小奴可駅に着いた。とりあえず不要な荷物を道後タクシーの事務所に預かってもらい、タクシーで道後山へ向かう。途中、道路が立派になったのに驚いたが、猫山の北斜面に立派なスキー場ができているのにも驚かされた。道後山スキー場も立派なスキー場になっている。雪の無いスキー場の横をタクシーでどんどん登る。結局、スキー場の上にある月見ガ丘の駐車場まで登ってしまった。月見ガ丘までの登山道はスキー場のゲレンデの中にあるようだ。駐車場には車が一台止まっており、他の登山者がいるようだ。


月見ガ丘の駐車場と岩樋山。

駐車場からはおむすび型をした岩樋山がすぐそこに見える。左の中腹には東屋のような建物が見える。今日は少し霞んでおり、残念ながら比婆連峰などの遠望はきかないが、しばらく周辺の山を眺めてから出発する。


おむすび型の岩樋山。この向こうに道後山がある。

右手の駐車場に入らず車両通行止めの道路を直進すると岩樋山への登山道になる。しばらく平坦なブナ林の中の道を歩き、やがて登りになる。登山道はよく整備されており、苔むした岩の階段が印象的だ。


よく整備された登山道。石垣は苔むしている。

15分程で東屋に着く。樹林から開放されて、眺めが一気に開ける。このあたりには目立った高い山は無く、同じような山が連なっている。眼下に月見ガ丘の駐車場が見え、さらに一台、車が増えていた。その向こうには比婆山の連峰が見えるのだが今日は霞んでいる。


岩樋山中腹の東屋から月見ガ丘の駐車場。奥に霞んでいるのは比婆山。

東屋の上に分岐がある。右を行くと岩樋山を巻いて直接道後山へ登れる。今日は左の岩樋山への道を行く。15分程で岩樋山の頂上に着いた。頂上には樹林は無く、360度の展望が得られる。岩樋山の北斜面には少し残雪があり、冬の雪の多さがしのばれる。


岩樋山から道後山を望む。

岩樋山は道後山よりも標高が2メートル高いのだが、標識すら無く、関東周辺の山に比べて非常に素朴である。ただ無人の雨量計が場違いな感じで立っている。


何も無い岩樋山の山頂。

岩樋山からいったん下り、道後山への登りになる。このあたりの鳥取県と広島県の県境には牛が乗り越えないように石垣が積み重ねてある。明治時代に造られたものらしいが、周辺には岩も少ないので大変な労働であったと思う。この辺は両国牧場と呼ばれていたが、今は牛を飼う農家が激減し、牧場としての機能は不要になってしまった。昔は放牧のために持丸から登ってゆく牛をよく見たものである。


岩樋山の山頂から続く両国牧場の石垣。

道後山は岩樋山とほぼ同じ標高なので、下っただけ登ればよい。昨日の雨で少しぬかっている所もあるが、笹の気持ちの良い道である。途中右に「大池を経て小奴可、持丸」の分岐が有り少し安心する。緩やかな斜面を登ると、やがて道後山の頂上に着いた。頂上には三角点があるが、道標は朽ちており、柱だけが残っている。昔はこに木のヤグラが有り展望台になっていたのだが40年も前の話である。頂上は風が強く立ち止まっていると寒い。ラーメンを作ろうと思ったが、それよりも持丸への下山路を見つけるのが先である。やはり20年前の地図は役にたたなかった。持丸への下山者は少ないので廃道になっているのかもしれない。


道標の柱だけ残っている道後山山頂にて。

地図では持丸へ下る道は頂上から東へ向かうようになっているが、とりあえず荷物を置いて西側を偵察してみる。昔は持丸の西のはずれの出口という家までしか道路はなかったのだが、鳥取県との境を越えて林道ができているのが見える。その林道の県境の峠方面へ続いている登山道が見える。少し下ると右に細い踏跡があり、その先には出口の家が見える。この道かもしれないと思ったが、荷物を取りに頂上へ戻った。


道後山から大池を見下ろす。手前の山の向こうは持丸。

頂上から東方向にも踏み跡程度の道がある。これを行くと眼下に大池が見え、遊歩道がある。道後山手前に分岐があった「大池を経て持丸」の道に違いない。しかし、下るにしたがって道は不鮮明になり、やがてヤブこぎになった。どうにか大池の横の池糖へでることができた。池糖を横切って登山道に合流したが大池の古い道標によると持丸へは道後山を登り返さなくてはならないらしい。


大沼に有った「持丸小奴可方面」の標識。

右手の分岐を見落とさないように気をつけて歩くが持丸へ下る道は無い。かなり登った所で老夫婦のパーティーに出会った。下の駐車場に車を止めていた人であろう。持丸への道を聞いてみたが、地元の人間ではないのでわからないとのこと。そこから少し登ると別な登山道と合流した。頂上から西側を偵察したときに見つけた踏み跡を登ってきた事になる。

また頂上へ戻ってしまった。さて困った。選択支は一つ、遠回りだが西に向かって歩き林道へでて、林道を下るしかない。林道ができてから登山道が変わってしまったのだろう。そういえば昔、持丸から登ったのは牧場の中の道で登山道ではなかったような気がする。牧場が無くなってしまった今、その道は廃道になっていても不思議は無い。

北斜面の登山道にはまだ雪が残っている。突然、携帯電話が鳴った。リュックをおろしている間に切れてしまったが家内からの電話だ。対応している時間が無いのでともかく下る。途中、「持丸北登山道へ」の道標を発見した。古い道標なので少し心配だが、何とか林道へは行けるようだ。

途中、頂上から見えた東屋があったが休まずに下る。やっと林道に着いた。ここが持丸北登山口に違いない。頂上から30分程の下りだったが、確信無しに歩いたのでずいぶん長く感じた。お湯を沸かす時間は無いようなので、水を飲み、行動食を出し歩きながら食べることにする。頭上には雪が残った道後山の北西斜面がそびえている。


残雪の道後山北面を振り返る。

林道を15分下ると道後山の登山口があった。少しのぞいてみたが、すぐにヤブこぎになりそうな怪しげな道だ。結局、林道を45分歩いて持丸の出口の家に着いた。遠回りではあったが、子供のころ知りたかった持丸の奥地を歩くことができ、感激した。出口にも道後山への登山口らしきものがあったが、この道もあやしい。

持丸の村に入って驚いた。2車線の立派な道路ができているのである。聞いた話によると鳥取側へ道路をつなげるのだそうだ。昔の事を考えるととても信じられない光景である。


立派に整備された持丸の道。

この後、持丸の親戚に挨拶をして、18年ぶりに祖父母のお墓にお参りした。小奴可まで8キロの道を歩くつもりでいたが、車で送ってくれるというので、甘えてしまう事にして、お酒をごちそうになって持丸を後にした。

道後山は車で月見ガ丘まで来て、岩樋山経由で周遊するのが一番楽しめる。持丸側からは出口から車道も荒れており、四駆の車でないと苦しい。

場所 高度(m) 到着 出発
月見ガ丘 1055 9:50
岩樋山 1271 10:21
道後山 1269 10:45 10:55
持丸北登山口 1060 11:39 11:44
持丸 735 12:40


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